between you and me


 渡邊由季は小さく溜息を吐いた。
 高校3年生になる彼女は、法律の勉強をしたいと思い、法学部のある大学を志望している。
 先日通っている高校で、全国模試があった。2年生までは年に3回だった模試も、3年生である今年度は、ほぼ毎月のように行われる。
 1科目辺りの時間が、高校での授業時間より長いため面倒だとは思う。しかし自分がどれだけ内容を覚えているのか、理解出来ているのか分かる、唯一の方法でもあるのだ。志望校の判定も成績と共に出るため、由季にとって大切な模試になっている。
 そして今日は、先月行われた全国模試の成績が、担任の手から渡された。
 今回は3年生になって初めての模試だったため、以前受けたのは2年生の3学期だったと、由季は記憶している。
 その時は2年生最後の模試ということもあり、ある程度勉強した――この時期は高校の中間考査と重なっていたため、模試だけに時間を費やすことは出来なかった――結果、今まで受けた模試の中で1番良い成績だった。
 志望校判定もBになり、あと数点でAになるとも、成績票に書いてあったのだ。それまでずっとC判定だったため、嬉しくて待ち切れずに両親に学校から携帯メールを送ったくらいである。
 そして今回の模試は、定期考査と重なっていない上に、記述式ではなくマーク式のものだった。
 1・2年生の時に受けた模試は常に記述式だったのだが、やはりマーク式の方が成績は良いだろう。分からなければ答えが埋まることのない記述式とは違い、マーク式は答えを何択かの中から選べば良いのだから。
 勉強もした。答えに自信がある問題も、多く挙げられる。もしかしたら念願のA判定が出るかもしれないと、期待に夢膨らませて担任から模試の成績票を受け取った。
 ……そして、由季は言葉を失った。判定は、Cだったのである。
 記述式の時ならまだしも、マーク式の模試で。更に、自信もあったのに。思いがけない結果に、ただただ茫然とするしかなかった。
 ただ、担任が今回の模試の成績票を、放課後に渡してくれたことは唯一の救いかもしれない。もし朝の授業前に渡されていたら、今日1日の授業全てに身が入っていなかっただろう。
 付け加えれば、出席番号順だったため「渡邊」である由季はクラス内で最後に受け取った。それほど周りの友達に成績のことを訊かれることなく、そのまま放課後の喧騒に紛れ込むことが出来たのだ。
 それでも、そのような考えすら、今の由季には気休めのようなものでしかなかった。
 両親は自分の進みたい道を選べば良いと、特に反対しているわけでもなく、成績のことでとやかく言うわけでもない。今回の模試の結果を見せても、成績が落ちたことを特に咎めはしないだろう。
 しかし何となく家に帰りたくないという気持ちがあり、由季は寄り道をしていた。
 由季の自宅は、利用している在来線の最寄り駅に近く、徒歩で10分足らずだ。寄り道をするというほど自宅まで店などもないため、今日はいつもは通らない道を歩いてみた。全く歩いたことのない道というわけではないのだが、見慣れない景色がどこか新鮮に感じる。
 暫く歩いていると、そこに少し広い公園があった。中に足を踏み入れてみると、砂場や遊具などで遊ぶ子供たちの姿。その近くのベンチには、彼らの母親らしき人たちが話をしている。
 どうせ家に帰りたくないのなら、ここで時間を潰そうか。
 そう考えた由季は、何故か他の遊具からは少し離れた所にある、誰も使っていないブランコに座ることにした。







 由季は足を地面に付けたまま、小さくブランコを揺らす。ちなみに通学鞄は足元だ。
 模試の結果が全てではない。あくまで模試は参考であり、志望校の試験で実力を出すことが最終目標である。それは分かっている。分かってはいるが、自信があっただけに、どうしても気が滅入ってしまう。
 由季は、今日何度目かの溜息を漏らした。
 その時、ふと自分の足元に影が現れた。一体何だろうと、俯いていた顔を上げてみると、そこには小さな男の子が立っている。幼稚園児だろうか。
 何となく、睨み付けられている感覚。低いブランコに座っているため、由季とその男の子の視線はほぼ同じだ。
 ブランコを使いたいから退いてくれ、と言っているのだろうか。いやしかし、隣にもう1つ誰も使っていないブランコがある。それとも、この公園は自分たちのテリトリーだから、余所者は入ってくるな、か? だがそもそもこんな小さな子供が、テリトリーなどと思うのだろうか。
 パッチリとした瞳に圧倒されながらも、独りで考えていた。すると、
「いっしょにあそべ」
 その可愛らしい顔と声に見合わない言葉遣いで、そう言われる。あまりに突然で思いがけないことに、由季は直ぐに反応出来ず「え、いや……」などと言っていると、
「ほらっ」
 少し砂で汚れているためザラザラとした、しかし柔らかく小さな手に無理やり手を引っ張られる。
 特に抵抗しなかったこともあるのだろうが、簡単にブランコから腰が上がる由季。こんなにも小さな手、身体なのに意外に力は強く、そのまま男の子に連れて行かれるような形で、由季は砂場へと向かって行った。
「つれてきたぞ」
 砂場には他に女の子が1人、男の子が2人いる。自宅から持って来たのか、所謂砂場セットと呼ばれる玩具もあった。
 一応一緒に遊べ、と連れて来られたのだから、視線は合わせていた方が良いのだろうか? スカートが汚れないようにと膝裏で挟み、何となく場違いというか、浮いているような雰囲気をひしひしと感じながら、由季は腰を浮かせてしゃがみ込んだ。
 4人の子供が遊ぶ砂場は、隅とはいえ高校生の由季がいても十分過ぎるほど広さがある。そんな広い面積を思い切り使い、子供たちは砂山を作ったり、砂を掘ったり固めたりする。
 今までこのくらいの年齢の子と触れ合う機会が殆どなかった由季には、子供たちが何をしているのか、何をしたいのか正直分からない。何となく入り込めない雰囲気があるのは、そのせいだろう。
 ちなみに、一緒に遊べとここへ連れて来た男の子は、由季に全く目もくれない。自分が連れて来ておいて、それはないだろう……。余計に居た堪れなくなった由季は、理由は違えども、またもや小さく溜息を吐いた。
「おねえちゃん、あそぼうよ」
 ついさっきまで遊んでいたはずの女の子が、今は由季の目の前にちょこんと座っている。由季を見上げるように、そう言ったのだ。
 その時、何と言えば良いのだろう。その子の上目使いに、……そう、ズキューンときた。
 まるで可愛らしい女の子に一目惚れをした男の子の気分だ。まぁ由季は男の子ではないので、あくまで想像なのだが。とにかく、その可愛らしい仕種に胸打たれた由季は、
「断るのも可哀想だし……。一緒に遊んであげたほうがいいよね」
 一緒に遊びたいのは由季自身だったりするのだが、この際それは無視しておこう。
 そう自分に言い聞かせながら、女の子と共に男の子3人の輪の中へ入って行った。


 何年かぶりの砂遊び。懐かしい、という以前に由季は思い切りはしゃいでいた。
 砂山を作ってトンネルを掘り、男の子が持って来たらしい玩具の電車を走らせる。小さなバケツに水を汲んできて、女の子と一緒に泥団子作り。続いて滑り台、シーソー、ブランコ(もちろん自分の鞄は、隅の方に移動させた)などなど。
 ちなみに今は、鬼ごっこだ。小さな身体にはこの公園はとても広いらしく、力一杯走り回っている。鬼ごっことなると、由季を含めた5人では少なく、同じ公園内で遊んでいた別の子供たちも一緒になって遊んでいた。
「って!」
 背後からそんな声がして、由季は振り返ってみる。するとそこには、由季に声をかけてきた男の子が転んでいた。
 走っている途中、躓いたのか滑ったのだろう。なかなか起き上がらないため、少し心配になり男の子の方へ駆け寄る。
「大丈夫?どこか痛い?」
 手を差し出して、立ち上がらせる。既に半袖半ズボンだ、血は出ていないものの、擦りむいた膝や腕が少し痛々しい。
「……べつに、いたくない」
 しゃがんで脚についた砂を掃ってあげていると、男の子はそう言った。
 痛くない、とは言うが本当は痛いのを我慢しているのだろう。眉間に皺を寄せ、潤んでいる瞳。更につい先程まで走っていたせいか、頬もほのかに赤く染まっている。
 ……可愛い。また、ズキューンときた。
 このくらいの子供というのは、こんなにも可愛いものだったのか。由季は、そう思わずにはいられない。
 ぽ〜っと男の子を見ていると、突然パンッと軽く掌を叩かれた。そしてほぼ同時に、男の子は由季の背後に回っている。
「へへっ、ねえちゃんおに≠ネ!」
 笑いながら向こうへ走って行く。
 どこまで本当だったのかは分からないが、ハッキリとしているのは男の子は鬼で、先程掌を叩かれたことによって、今鬼なのは自分で。つまり、騙されたのかもしれない、ということで。
 考えてみれば、最初の言葉は「一緒に遊べ」という命令口調で、無理やり砂場に連れて行ったにも拘らず、完全無視だった。
 前言撤回とまでは言わないけど、一部訂正。ちょっと生意気な子もいるようです、ハイ。
 とにかく、ここで肝を抜かされている場合じゃない。スカートについた砂を軽く掃って立ち上がり、逃げる子供たち目掛けて走り出した。







「政宏、そろそろ帰ろうか」
 ベンチに座っていた母親が、子供の名前を呼ぶ。気が付けば陽は沈み、光のない青空が広がっていた。
 それに続くように、別の母親たちも自分の子供に帰るよう促している。名残惜しそうにしているものの、聞いていて心地良い返事をして、母親の元へ駆け寄る子供たち。
「おねえちゃん、おねえちゃん」
 由季はスカートを引っ張られた感覚がして下を見てみると、一緒に遊んだ女の子が立っていた。あの、一目惚れをした(?)女の子だ。由季はしゃがんで女の子と視線を合わす。
「なぁに?」
「あのね、たのしかった!またあそんでね!」
 くぅ〜〜、やっぱり可愛いなぁ。連れて帰りたいくらいだよ……。
「うん、また遊ぼうね」
 そんな、ちょっぴりストーカー紛いの気持ちは奥に仕舞って、由季は笑顔を向けた。
 つい先程まで喧騒に包まれていた公園は、眩しいほどの陽と共に沈んだかのように、一気に閑散としてしまう。子供たちのパワーというのだろうか、改めて凄いものだと思った。
 その時突然、ジャリ…と砂の音が背後で聞こえる。
 皆帰ったはずなのに、なんで!?
 恐る恐る振り返ってみると、そこには子供がまだ1人残っていた。由季を子供たちの中へと引っ張った、あの男の子である。
「……お母さんは?まだ帰らないの?」
 どの子も母親であろう人と帰っていた。日が長くなったとはいえ、小さい子を独りで家に帰すのは危ないだろう。男の子と同じ目線になるように、腰を落として由季は訊ねた。
「……おしごと。いっつもおそいから…。みんながかえったら、ひとりでかえる……」
 そう言う男の子の表情は、とても寂しそうだった。
 家庭のことを干渉しようとは思わないが、とにかく母親は働いており、帰りはいつも遅いのだろう。こうして公園で遊び、皆が家に帰った後になっても待たなければならないほど。
 皆が母親と帰るため、余計に寂しいと感じているのかもしれない。どうしてお母さんは迎えに来てくれないの、と……。
「亘!」
 今にも泣きそうな男の子を、どう言えば宥め賺すことが出来るのだろう。普段使わないような言葉を一生懸命考えていると、公園の入り口辺りから女性の声が聞こえた。
「おかあさん!」
 その直後だった。男の子の表情が、一変して明るくなったのは。
 女性がこちらへやって来るのが待ち切れないというように、男の子は駆け出していく。どうやら彼女は母親らしい。
「今日は仕事早めに終わらせたの。この時間だったら、もしかしたら亘、まだ公園にいるかなって思って」
 男の子の名前は『亘』というようだ。一緒に遊んでいたが、実はどの子の名前も訊いてはいなかった。
 亘くん、っていうんだ……。
 由季が立ち上がっていると、亘の母親がこちらへやって来た。ちなみに亘は、彼女に少し隠れるようにして後に続いている。
「ごめんなさい、亘と遊んで下さったの?」
「いえ、そんな……。私が遊んでもらったような感じです」
 亘が強引に連れて行かなければ、子供たちと遊んではいなかっただろう。実際、高校生だというのに、同じように無邪気にはしゃぎ回っていた。本当に楽しかったし、今となれば亘にありがとう、と言うべきなのかもしれない。
「遅くまでありがとう」
 ふんわりと微笑む母親。悪い気はしないなぁなどと思っていると、
「……バイバイ」
 彼女に隠れていた亘が、顔を少しだけ出し、小さくではあるが手を振ってくれたのである。まさかそのようなことをしてくれるとは思っておらず、嬉しくなった由季は思わず大きく手を振った。
 本当はありがとう、とか楽しかったよ、とか言いたかったのだが、正直なところあまりに嬉しすぎて、言葉が出てこなかったのだ。
 言葉が出てこないだなんて、滅多にあることじゃない。全く、なんて凄い子だったんだろう、亘くんは……。


 そして、また静かになった公園。
 そろそろ私も帰ろうか、と由季はブランコの傍に置いていた鞄を手に取る。
 ……そういえば。
 そもそもここにいたのは、全国模試の結果に落ち込んでいたからだった。あんなに思い悩んでいた模試を、すっかり忘れていたことに、由季はようやくここで気付く。
 子供たちと遊んでいたからだろうか。何となく、気持ちが楽になっている気もするし、良い意味で吹っ切れたような気もする。別に今回悪かったからといって、これで終わりじゃない。まだ、次があるのだから。寧ろ、落ち込んでいる暇なんかない。
「よし、次頑張ろう!」
 おー! と握り拳を空に掲げる。
 ほんの1、2時間前とは一転して、由季の足取りはとても軽くなっていた。

 

 

 

 

 


2005.6.15

今年度から参加している、文芸サークルに出した作品です。
ネタは、小さい子を書きたいなぁと思って……。
堅苦しかった雰囲気が和らいでいくのを感じ取ってもらえれば。
何せ、今まで幾つか作品書いていますが、
たぶん「ズキューン」なんて言葉書いたのは初めてです(笑)
ちなみに模試は、自分が高校の時の全国模試の結果を参考に。
こんなところで見ることになるとは……。




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