You have my word


 学校から最寄り駅までの、15分の道程。
「クリスマスくらい夢見たら?」
 予想していた言葉を、予想通り小さく溜息を吐きながら友達に言われた。
 ただ、予想していたとはいえ、グッサリときたけれど。





 12月も中旬を過ぎ、今年は残すところあと2週間足らず。こう寒くては、たとえ日中とはいえ手袋とマフラーは必需品。冷えた風を除けるためにそのマフラーで口許をすっぽりと包む。
 因みにこの時期の街といえば、クリスマスのイルミネーションを着飾っているような雰囲気だ。最も大きく占めているのは仏教徒であろうに、日本がこれほど大々的にクリスマスという行事を取り上げるのは、如何なものだろうか。
 そう内心思っているのは、渡瀬深雪。既に就職も内定した高校3年生である。
 2学期の終業式まで1週間を切っているため、今日は平日だが授業は午前中のみ。尤も現在の時間は14時半を過ぎている。電車通学の彼女はラッシュ時に乗りたくはないと、早く帰りたい学生たちが多く乗る時間帯は避け、教室で時間を潰していたのだ。小腹を満たすためにしっかりパンも持参である。
 もっと電車の本数が多ければこのような時間まで待つ必要はないのだが、何せ通う高校の地域は田舎。お昼時などかなり少なく、授業終了直後の電車を逃すわけにはいかないという学生が多いのだ。
 深雪と同じ考えの友達も1人おり、2人して他に誰もいない教室で食みながら談話していた。騒々しい普段の教室とは違い、まるで貸切りのようで何となく気分は良いものである。
 そうして今は友達と2人、教室でのどうでも良い話の続きをしつつ最寄り駅まで歩いている。その中で、話は数日後のクリスマスへと移っていった。
 深雪はクリスマスを嫌悪している。その理由は、彼女は仏教徒であるからだ。……なんて、もちろんそんなことではない。少なからず影響はあるかもしれないが、殆ど信仰していない彼女にとって、宗教など正直どうでも良いことだ。ならば一体何なのかと言うと、
「しかも誕生日なんやったら、我儘言うたってええやん」
 そう、街が華やかに彩るその日は、彼女の誕生日なのである。
「イヤ、期待するだけ無駄やもん。それやったら最初から期待せえへん方が、心の傷も浅いやろ」
「まぁその言い分は間違うてへんけどなぁ。こう…、華の女子高生が夢持たんと寂しいっちゅーか」
「……自分で華の女子高生って言うか? 普通…」
 深雪の両親は5年ほど前に離婚している。今は年の離れた妹と、母親の元で暮らす日々だ。
 決して仲が悪かったわけではない。喧嘩することも年に数回あるかないかくらいだった。ただその関係で決定的な欠陥だったのは、2人が仕事大好き人間だということである。
 結局深雪が中学に上がった後に離婚したのだ。深雪と妹の教育費は、女手1つでは生活費で手一杯ということで父親が出している。それが当然のように自然と決まったことから、2人の仲は悪くないことも分かるだろう。
 高校となれば、友達の家族構成を知る機会は滅多にないため、良い意味で干渉されずに済んでいる。そんな中で深雪の両親が離婚していることを知っている1人は、先程から一緒に帰宅している友人だ。
 今年のクリスマスもいつもと変わらないだろうなぁ、と深雪漏らした言葉に、「クリスマスくらい夢見たら?」と友達が言ったのはそのためである。知っているからこそ思ったことを包み隠さずぶつけてくる、そんな彼女に甘えている反面、素直な気持ちを出来るだけ漏らしたくないと意地を張っていた。







 外は肌を刺すような寒さ。凍える風が吹き荒ぶ外界と隔てた屋内は、その暗い外とは対照的に、温度も色も暖かかった。
「ほら早くっ。お姉ちゃんローソクの火消してっ」
「桃香、急かさないの」
「だってぇ……」
「全く……。よし深雪、遠慮せんと思い切り吹き消してええで」
「うん。じゃあ消すよ」
 軽く息を吸い、眼前にある灯った蝋燭の火を、勢い良くひと息で消す。
 同時に室内は暗くなり、カチリという音の後に人工の明かりが灯った。テーブルの上には幾つもの料理と、先程吹き消した蝋燭の立つホールケーキが現れる。
 今日は深雪の誕生日だ。そのため両親が離婚してから何度目かの、家族4人揃っての食事が実現した。いや、尤も離婚している今、家族≠ニいう言い方は間違っているかもしれないが。
 横には妹がいて、向かいには両親がいて。いつもより少し奮発して母親が作ってくれた食事に、皆は手を伸ばしながら話をし、笑っている。暖かい。暖房が付いているだけではない、人の暖かさだ。
「――ね――ん」
 これほど笑い合えているのに、どうして離婚なんてしたのだろう。深雪が思うのはそればかりだ。嫌いではないのなら、離婚する必要なんてなかったはずだ。
 ……いや、それでもこうして時々でも家族一緒に過ごせるなら、我慢することも案外悪くないかもしれない。嬉しさ、幸せさは倍増だ。独り物思いに耽りながら、深雪は味のしないチョコレートの誕生日ケーキを口に入れた。
 ―――……ん? 味のしない…?
 どういうことだろう、ケーキは甘いものではなかっただろうか……。
「お姉ちゃん!」
「――! ……桃…?」
 はっきりと「お姉ちゃん」という声が耳に届き、深雪は目を開けた。
 目の前にはランドセルを背負った女の子が立っている。
「何でここにおるん? 学校は?」
 その表情はまるで不思議な光景を見たようで、疑問符を幾つも浮かび上がらせ、首を傾げている。小学校の帰宅時間は高校に比べ早い。そのため高校生の深雪がこの時間、ここにいることに疑問を持ったのだろう。
 ランドセルを背負った彼女は、深雪の8つ年下の妹、桃香だ。
 冷たい風が頬を掠め、深雪は思わず目を細める。息が白い。鼻頭が痛い。剥き出しの脚が寒い。
 そこで漸く、先程家族4人でいたのは夢であったことに気付いた。……当然だ、4人で過ごすなど現実では有り得ない。望みという夢の中での話でしかない、深雪の小さな願いなのだから。
 そもそも桃香の声で目を開けた≠ニいうことは、それまで眠っていた、ということである。下校途中友達と別れて公園に寄り、ブランコに座って時間を潰していたのだ。ブランコに座ったまま寝るなど、器用なことが出来たのかと、深雪は自分自身に少し感心した。
「……お姉ちゃん?」
 一向に自分の話を聞いてくれない姉に、桃香は少し不安になったのか頸を傾げて呼びかけた。
 深雪と離れているとはいえ、周囲の空気を十分に感じ取れる年齢だ。人に迷惑ばかりかけるわけにはいかない、自分に出来ることで相手を気遣えることがあるならば、小さくてもした方が良い。そう考えていた。
「な、ええこと教えたげる。だから元気出して!」
 そんな言葉が桃香から出てきたのは、そのためだろう。
 彼女は彼女なりに気を遣い、姉の沈んでいるような気持ちが少しでも和らげば。そう思いいいこと≠教えようと言った。これを言えば、きっと姉は元気になってくれると思ったから。
 それが分かった深雪は、自分は元気だから大丈夫、などとは言えない。それは桃香が、深雪のことを想って言ってくれた言葉であり、優しい気持ちだ。拒むことは、つまりは彼女の幼いながらの気遣いを否定することにもなる。
「……うん、ありがと。いいことって何?」
 だからこそ強がって桃香の想いを拒むわけにもいかず、出来る限り平静を装って先を促した。内心は、年の離れた妹に気を遣わせてしまった。そのことが重く圧し掛かっている。本来ならば自分が妹の桃香を支えてあげなければならないはずなのに、と。
 姉妹という繋がりで、ここまで支えなければ、と気を張る必要はないかもしれない。だが深雪がそう思ってしまっているのは、2人の年が離れていることと母子家庭であることが関係している。
 両親が離婚した後は母親が働いている以上、自然桃香と一緒にいる時間が長いのは姉の深雪だ。幼い妹に対し、姉と共に母親という役割を意識し生活していく必要があったのも事実。それは今でも抜け切れず庇護のような形で現れつつあるが、家庭生活を考えれば仕方ないとも言えるだろう。
 反面、良くぞ聞いてくれました!とばかりに桃香は眩しいほどの笑顔を向ける。
「あんな、今年のお姉ちゃんの誕生日は、お父さんが家に来てくれるんやって」
「え…?」
 深雪は一瞬自分の耳を疑い、思わず間抜けな声を漏らした。
「一緒におれるんやで? 久し振りやんなぁ〜。…あ、これお姉ちゃんに言うたらアカンって言うとったから、あたしが喋ったの秘密にしといてな」
 とても嬉しそうに言ったかと思えば、直後まるで悪戯が見つかったような顔。表情はコロコロと変わる。
 いつもならそんな表情を見せられては、参ったとばかりに顔が綻んでしまうというのに。この時ばかりは、深雪は可愛い自慢の妹に怪訝な顔しか見せることが出来なかった。
「桃、それお母さんが約束してくれたん?」
「そうやけど。なんで?」
 だが漸く打ち明けられたことがとにかく嬉しいのか、微かに曇った深雪の表情を読み取ることは桃香には出来なかったようだ。確認するように聞いてきた姉に、素直に頷く。勿論その答えが深雪にとって厭で仕方ないものだとは知らずに。
「……ごめん、桃。あたしはその約束、信じられへん」
 静かに深雪はそう言った。今の顔を見せたくなくて、桃香から視線を逸らす。
「だって、今までもそうやって約束してくれたのに、破られてばっかりやったやんか。今回やって、24日くらいに『やっぱりアカンようなったわ』って言うんや。そんなん…、お母さんの約束なんて信じられるわけないやん」
 そうだ、守ってくれるはずがない。自分で言いながらそんな風に結論を出してしまえることが寂しいと一瞬感じたが、事実なのだから仕方ないではないか。
 どうせ破られるのなら、最初から約束なんてしなければいい。そう思うようになったのは、一体いつ頃からだろう。それを認めるためには、子供≠フ自分を捨てなければならなかった。
「大丈夫、今年は一緒におれるんやって! だってな――」
「根拠もあらへんのに、ええ加減なこと言うな!」
 無邪気に話す桃香に耐え切れなくなり、深雪は心底の想いを怒鳴るようにぶつける。
 最後に両親と約束をしたのはいつだったのだろう。それは守ってくれただろうか、それとも破られただろうか。今まで何度も約束を破られ、その度にもう信じない、と思い。でもそれでも次は守ってくれるかもしれない、と思って約束を持ちかける。そんな時期もあった。
 先程の夢だってそうだ。約束を守ってくれないことくらい分かっているのに、奇蹟なんて信じないのに、一緒に過ごせるわけがないと、自分が1番良く分かっているのに。……こうして夢に見るほど、心のどこかで望んでいる。また家族4人で一緒に過ごしたい、と。
 頭で理解しているからこそ、どこかで未だ望んでいる自分が厭になるのだ。
「………ッ」
「――あ、桃ごめ……」
 きつく当たったことに気付き、直ぐに謝ろうとした。しかし姉の苛立ちを含んだ言葉は、幼い妹をストレートに突いたようだ。泣くのを耐えようとしているものの、それは幾分も持たなかった。瞳が濡れ始めたかと思えば、堰(せき)を切ったように涙は溢れ、むせび泣き始める。
「……怒鳴ってごめん。別に桃が悪いわけやないのに……。ごめんな」
 深雪は泣き出してしまった桃香を、ぎゅっと抱いた。ずっと離れているのに、自分を元気付けようとしてくれたのに、そんな妹に対して思わず苛立ちをぶつけてしまった。
 やっぱり自分もまだまだ子供なのだ、そう深雪は思う。現実を見せ付けられて、幼い無垢の笑顔を向けられて。悔しさも哀しさも怒りも、自分の中で抑え切れるほどまだ心は大人ではなかった。幼い妹を支えるんだと、あくまで自分に言い聞かせていただけだったのかもしれない、と。
 しかし妹の笑顔の意味は、深雪が考えていたものとは違っていた。
「だ、て……、電話……」
「……?」
「お母さんとお父さん、電話しとったもん……。嘘ちゃう、2人だけで約束しとったもん…!」
 ――…電話…、2人だけ、……約束………。
 途切れ途切れに発せられる言葉。その訴えかけるような言葉に、思考が一瞬止まった。深雪は回していた腕を解き、身体を離して桃香と視線を合わせる。
「……ホンマに2人が電話しとったん?」
 こくり、と小さく頷く桃香。
 今まで破られてきた約束は、その殆どが深雪から母や父と交わしたものだった。つまり彼女自身の望みを両親に打ち明かしたということ。約束をした時点で互いに了承したことには代わりないが、その約束に対する想いは、深雪の方が強くなるのは必然だった。
 約束を持ちかけられた両親は、それを破ることは深雪が思っている以上に安易で。更に持ちかけた深雪は、両親が思っている以上に裏切られた哀しさは深く傷付いていた。両親にとって娘のいる家庭は何にも代え難い存在であるものの、「仕事」は家庭とは完全に切り離された別格のものだったのである。
 だがそれでも、両親が2人だけで交わした約束を破ることはなかった。深雪や桃香にとって良い約束も、悪い約束も。記憶する限り、前者の方が圧倒的に少なかったのだが。
 てっきり「25日にお父さんが家に来てくれる」という約束は、桃香が母か父と交わした約束だと思っていた。だからこそ根拠もないのに、一緒にいることが出来ると言う桃香に対して反発したのだ。そんな一方的な約束を守ってくれるとは思えない、と。
 桃香は、母と父が電話をしていたと言った。その電話で、25日は父が深雪たちが住まう家に来ると、そう約束していたと。更に母はそれを盗み聞きしていた桃香に対し、口止めをした。深雪には言ってはならない、と。
 ……信じていいのだろうか。望んでも、期待してもいいのだろうか。まだあくまで「可能性」だ。しかし、
「ありがとう、教えてくれて…。桃が言うた通り、めっちゃええことや。ホンマに嬉しい……」
 たとえそれが現実とならなくても。両親が、両親から誕生日には4人一緒に過ごそうと、そう考えてくれていた。それが何より嬉しかったのだ。桃香が教えてくれたいいこと≠ヘ、彼女の言う通り本当に深雪に元気を与えてくれるものだった。
「……家(ウチ)、帰ろっか」
 笑顔を取り戻してくれた姉に、「うん!」と笑顔で返事をする桃香。
「あ、そうや。喜ぶんはええけど、あたしが喋ったこと絶対言わんといてな? バレたら恐いもん」
 そう言いながら包み隠さず笑う表情は、自分の妹ながら可愛いと思った。
 深雪の頬は、完全に緩んでしまっている。
 母親が仕事から帰ってくる前にこの緩みを直さなければ、桃香と喋らないと約束したものの『桃香に25日のこと聞いたって、顔に書いてあるで?』などと、ばれてしまうだけでなく嫌みたらしく言われると、彼女自身分かっているのだ。
 分かっているのだが、やはり気を引き締めていないと直ぐに緩んでしまう。
 ――早よ誕生日来おへんかなぁ。
 寒い冬空にポツリと呟く。誕生日が待ち遠しい、深雪がそんな気持ちになったのは久しぶりだった。
 ここ数年、特に両親が離婚してからは、一緒に過ごしたいと言うことはなかなか出来なかった。誕生日というものを理由にすれば言い易いだろうが、生憎デパートで正社員として働いている母親に、クリスマス休暇などない。
 もし深雪の誕生日が12月25日でなかったなら、躊躇いながらも約束を持ちかけられたかもしれない。彼女がクリスマスを嫌悪している理由はここにある。八つ当たりだと分かってはいるが、クリスマスだからといって着飾り、一緒に過ごして楽しんでいる家族などを見ると、そっと愚痴を漏らしていたのだ。
 心なしか、深雪の足取りは軽い。
 ずっとずっと重かった約束≠ヘ今、妹の優しさによって手の届くものになっていた。

 

 

 

 

 


2006.2.28

タイトルは「約束するよ」
遅くなったクリスマス話、でも25日より前ですね;
関西弁の理由は、深雪の「ええ加減なこと言うな!」という台詞が、
標準語ではどうしても上手く言えなかった(?)ので……。
時々、標準語だと言い回しが変な時があるんです。
普段関西弁で喋ってるせいか、嘘臭いというか(苦笑)




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