020:合わせ鏡

 新年早々、大悟は携帯電話の着信音で起こされた。

「――…ん…電話…?」

 いつまで経っても鳴り止まぬ音に、メールの受信ではなく電話がかかってきたのだと、少し寝ぼけた頭で導き出す。
 しかし気持ち良く寝ていたのに起こしてくれた、迷惑極まりない相手は無視だ、と言わんばかりに一切携帯電話に手を伸ばそうとはしない大悟。
 暫くすれば切れるだろうと放っていた―――のだが。
 本当にいつまで経っても着信音は鳴り止まない。1分…いや、3分近くは鳴り続けている気がする。
 ある意味ここまで辛抱強くこちらが出るのを待っているなんて、一体どういう神経をしているのだろうと思いつつ、のそのそと腕を伸ばし、頭上のベッドの小棚に置いている携帯電話を掴む。
 手が、布団の中ではない外気に少し触れ、その寒さにぶるりと身体中が震えた。
 この暖かい幸せな時間を壊しやがったのは一体誰だ…! と心の中で毒突きながら着信相手を見ると、そこにあるのは電話帳に登録してある、中学の同級生の『栄基』という名だった。
 一瞬眉を顰めた後、出来るだけゆっくりとした動作で通話ボタンを押した。

『お〜っす! 大悟、明けましておめでとう! もしかして寝てたのか?』
「……もしかしてじゃなくて、そうだ」
『んだよ〜、せっかくの新年なんだからさ、さっさと起きて清々しい1日にしようぜ〜!』

 大悟は部屋にある壁掛け時計をちらりと見て、溜息を吐く。
 まだ7時過ぎ。何故コイツは朝からこんなに元気なんだ…? と疑問に思いながら、もう一度溜息を吐いた。

「新年だからゆっくり寝てるんだろ、用がないなら切るぞ」
『あ〜! ちょっと待て! 用はあるんだ! だから我慢強くお前が電話に出るまで待ってたんだろ?』

 我慢強いの域を超えてるだろ、と声には出さずに突っ込みつつ、栄基に先を促すよう応える。
 かくして彼の言う用とは、

『初詣行こうぜ』
「イヤだ」

 大悟はスッパリキッパリ断った。

「起こされて眠いし、新年から人混みなんか行きたくない」

 しかし。

『順一と達哉と、あ、森崎とか女子もたぶん何人かいるから。9時に東條中に集合な』
「おい、人の話聞けよ……」

 東條中とは、大悟や栄基が通っていた地元の中学校のことである。そして栄基の口から出てきた名前は皆、その時の同級生。
 ちなみにその3人は、大悟が去年の成人式では会えていない同級生だ。
 名前を聞き少し懐かしいなぁと、通話相手に呆れつつもひっそりと笑みをつくる。
 が、懐かしむ間もなく。

『絶対に来いよ! もし時間になっても来なかったら、お前ん家まで迎えに行くからな! じゃ、また後でな!』
「え、あ、おいっ!」

 大悟の言葉など全く聞く耳持たずの栄基は、一方的に喋って一方的に電話を切った。
 部屋では静かな時間が流れ、時計の秒針の音だけが響く。

「―――…ん? 東條中…?」

 そこでふと疑問に思った。
 栄基は初詣に行こう、と電話をかけてきた。しかし東條中学の近くに社寺はなく、大悟の知る限りであると言えば電車に乗って行くような場所である。
 ――まぁ、行けば分かるか。
 あのテンションの高いまま家に来られてもかなり迷惑だし、久々に友人に会う機会が出来たのはやはり嬉しい。
 そう良いように思うことにした大悟は、勢いをつけて身体を起こした。







 大悟の自宅から東條中学までは、原付で約10分。
 言われた集合時間より5分早く着いたのだが、その時には既に皆校門前に集まっていた。

「お、大悟! 久し振り〜」
「あけおめ〜、元気にしてっか?」
「ちゃんと来たな! エライぞ!」

 何だか偉そうな奴は放っておいて、久方振りに顔を見る順一と達哉に、思わず頬が弛む。
 少し離れた所には、女子も2人いる。中学当時、誰とでも話をするタイプではなかった大悟だが、その中でも比較的よく話をしていた、森崎と中野のようだ。
 その2人も混ざり、話が膨らむのはやはり、中学卒業から今現在にかけてのそれぞれの経緯。特に高校を卒業した後の、この3年間についてどう過ごしているのか、話は尽きない。
 そうして暫くののち、一旦話が途切れた時に、大悟は栄基に聞かされてから疑問に思っていたことを訊ねた。

「で、初詣ってどこ行くつもりなんだ?」
「え? 初詣ってなに?」
「…へ?」
「大悟、行くつもりなのか?」
「いや、俺は栄基に、初詣に行くからって言われたんだけど」

 何だか噛み合わない話に、大悟は少し不安になる。
 そして虚しくもそれは、外れてはくれなかったのだ。

「今日なら先生もいないだろうし、久し振りにここ入ろっか、って話だったんだけど…」

 ここ、とは勿論、東條中学を差している。
 つまり東條中学を集合場所としたのは、目的地がこの場であるのだから、何も疑問に思うことなどなかった、というわけだ。
 ……栄基さえ、変なことを言わなければ。
 栄基のいい加減さに、大悟は溜息を吐く。どこをどう間違って、そんなことになったのだろう。
 新年早々から何度も溜息を吐いている自分に、この1年はあまり良くないかも…と哀しくなる大悟。

「ま、こんなトコで突っ立ってないで、中に入ろうぜ」

 それを知ってか知らずか、少し嬉々とした表情の栄基が、皆を促す。
 尤も今更何を言ったって仕方ないのは確かであり、突っ込んだり問い質すのは面倒だから止めておこうと、大悟は水に流すことにしたのだった。







 閉まっている校門を跨ぎ、6人は中へと入っていった。
 本来はやってはいけないことだろうが、はっきり言って田舎であり周りの殆どが田畑で囲まれているここでは、恐らくこうして中に入るのを見かける者もいないだろう。
 しかも今日は元日。最悪の事態にならない限り、ばれないはずだと踏んで栄基が提案したようだ。
 ちなみに他は知らないが、少なくとも大悟がここへ来るのは卒業して以来初めてである。
 記憶と殆ど変わらない、校舎、運動場、プール、見渡す景色。その視界に入るもの何もかもが、懐かしく感じた。

「……なんか、変な感じ」

 一通り皆で懐かしみながら見回り。
 校舎前の砂利の通路と運動場を繋ぐ、石段に腰を落ち着かせた。
 そうして、森崎がポツリと漏らした言葉の続きを、周囲に座る皆は待った。

「私なんか、中学で辞めちゃったし、あんまり今は運動もしてないけど、……やっぱりこうやって見てると、走りたいなぁって思う」
「……確かに、そうだよな」
「だな」

 皆の視線の先にあるのは、陸上競技専用の競争路。
 運動場の端に位置し、100Mの長さと6レーンの幅があり、周りの運動場から切り離されたように土の色の違う、彼らにとって特別な場所。
 今日、ここに集まっている6人は中学時代、陸上競技部に所属していた者たちだった。
 やっていた種目は違えど、他の部活動とは違い男女一緒だったこともあり、仲は良い方だった彼ら。
 また、顧問の先生がさほど厳しくなく、それどころか時々種目関係なしに全部員を集め、この競争路で100Mを走ることもあった。
 タイムなど計らない、4・5人ずつ走らせて誰が1番になるかという、かけっことしか言えないようなもの。
 だがそれは皆の記憶に鮮明に残っているほど、彼らにとって楽しかった時間。

「ね、久し振りに走ってみない?」


 そう言い出したのは、かつて短距離走を主にやっていた中野だ。
 そしてその提案に、残りの5人は快く――というより、寧ろ飛び上がらんとばかりに喜んで賛同した。

「悪いと思いつつ、キレイなレーン走れるって最高だな♪」
「あ〜…、何かドキドキしてきた……」
「うっし、ぜってー1番なってやる!」
「真ん中って苦手なんだよなぁ、ついてねぇ」
「……短距離の名誉にかけて、って思うけど、最近走り込みしてないし、ヤバイなぁ」
「実は俺も。でも砲丸やってた栄基には負けたくないな」

 レーンは丁度6つ。
 順一が、森崎が、栄基が、達哉が、中野が、そして大悟が。
 それぞれにあの頃を懐かしみながら、スタート地点に立つ。
 久方振りでもやり方は忘れてはいない、クラウチングスタート。スタートの合図は、第1レーンを走る順一。

「よーい…、スタートッ!」

 その掛け声と共に、一斉に先のゴールを目指して走り出した。
 顔に当たる風が冷たい。一方でそんなことは気にならないほど、走ることが楽しいと皆は笑う。
 そんな中。
 ……今、俺の後ろにいる誰かには、俺はどんな風に写っているのだろう。
 大悟はふと、そんなことを思う。
 現在大学3年の大悟は、就職に向けて動き始めている。だが実際は、まだどういった職業に就きたいかも定まってはいない。
 今日皆と話をして、短大や専門学校に行っていた者は既に就職しており、まだ自分と同じ学生である者も、既にしっかりと先を見据えていた。
 自分だけ、まだスタート地点から動けていない。そう感じた。
 しかしそれでも、今こうして走っているこの時は、皆大悟の後ろを走っている。
 大悟も中野と同じく短距離走を主にやっていたため、ある意味当然とも言える結果のはずなのに、それが何だか不思議な気分なのだ。
 ちらりと。大悟は自分の斜め後ろを見る。
 皆は、既にこうやって前へ進んでいる。置いてけぼりにされたくない。自分も、自分も同じように、皆と共に前へ進みたい。負けたくない。
 そう強く思った時、ある気持ちに辿り着いた。
 ―――だからこそ、まずこの1着は譲れない。と。
 風を切る。懐かしい感覚に、胸が高鳴る。
 誰よりも早くゴール地点のラインを踏み締めた時、大悟は自分の中で何かが変わったと、そう感じた。