041:デリカテッセン

 付き合っている彼女に弁当を作ってもらうというのは、ある意味1つの夢だった。
 別に凝ったものとか、すごく美味しいものとか、そこまでは望んでいない。ただ、自分のために作ってくれる、というものに憧れがあったのだ。
 有り難いことに、今付き合っている彼女は、料理は苦手ではないようだ。その証拠に、何度かお菓子を作ってきてくれたことがある。
 だから、「明日お弁当作ってくるわな」と言われた時は、内心小躍りなんてしていた。
 ちなみに、その彼女――神原(かんばら)自身も、彼氏に弁当を作ってあげるのが夢だったらしい。
 それを共通の友人に話したら、
「揃って夢見過ぎというか、ヘンなところで気が合うとるというか……。つーか、んなノロケみたいなこと聞かすな」
 なんて呆れた顔をして言われた。まぁ気が合っているかもしれない、ということに関しては悪いことではないから、特に否定もしなかったのだが。
 とにかく、嬉々として待ち望んだ弁当を前に、俺は少し浮かれていたし、味についても少し期待しているところがあった。
 料理のジャンルは違えども、作ってきてくれていたお菓子は充分に美味しかったのだから、弁当のおかずも不味くはないと思うのが普通だろう。それにもし不味くても、食べられる範囲のものだ、と。
 ………そう、思っていたのだが。世の中そう上手くはいかないらしい。
 2段の弁当箱に、色取り取りに詰められたおかず。見た目からしてすごく美味しそうだ。
 じゃあまずは無難に玉子焼きから…、と焦げ目のない綺麗な黄色のそれを口に入れた。もぐもぐと咀嚼する。
 神原はどうだと言わんばかりに俺の感想を待っている。俺にとっても、人生初の彼女からの弁当。期待通り、美味しい、とするりと言葉が―――出てこなかった。
 何やら、変な味がする。
 塩でも砂糖でもない。かろうじて玉子の味はあるが、本当に僅かだ。しかも、食感も何かおかしい。見た目はかなりふんわりとしているのに、硬いというか弾力があるというか。
 結論から言うと、玉子焼きと言えるモノではなかったのだ。頑張って咀嚼していたが、これ以上噛み続けるのは辛くて、ごくりと無理やり飲み込んだ。
「な、那須くん…?」
 さすがに全く喋らない俺に不安になったのだろう、神原が少し泣きそうな声で名前を呼ぶ。
 美味しいと言いたかったが、喉がそれを許してはくれず、だからといってこの気まずい空気を耐えられる神経もない。どうにかして打破しようと、普段あまり使わない頭をフル回転して約3秒後に出した俺の答えは、
「……次、これ食べてええか?」
「えっ、あ、どうぞ」
 そう言って、行儀が悪いと思いつつ箸でポテトサラダを差す。別のモノを食べて口直しをし、今度こそ美味しいと言いたい。
 ……だがしかし、またしてもポテトサラダ≠ニは違うモノだった。マヨネーズの味はしているが、ジャガイモの食感はどこにもない。お世辞にも美味しいとは言えなかった。
 いや、3度目の正直という言葉があるじゃないか。次こそは…!
 とポテトサラダ(仮)をごくんと飲み込んで、アスパラのベーコン巻きに箸をつける。たぶんアスパラをベーコンで巻いて焼いてるだけ、これならきっとアスパラのベーコン巻き≠ノ違いない!
 ――…しかし残念ながら、2度あることは3度ある、の方だったらしい。淡い期待は、簡単に崩れ去ってしまった。これもさほど噛むことなく、飲み込んだ。
 結局一通り口に入れ何とか食べられたのは、白米とミニトマト、それに冷凍食品の弁当用ミニグラタンだけだった。
「……ごめん」
「あー…、いや、そんな気にせんでもええし、ご飯は食べれたんやし……」
 それが気休めにもならないことは分かっているが、他に気の利いた言葉を言えるほど俺はデキていない。
 俺の様子を不審に思って、俺の弁当と同じものを詰めていた自分の弁当を恐る恐る食べた神原は、「……不味い………」と顔を思い切り歪めていたのだから。
 だからこそ、「不味い」という言葉を一切口にしなかったことは、誰かに少し褒めてもらいたいという気持ちもあったりする。
 神原の話によると、朝は時間がなく味見をしている暇はなかったらしい。見た目はすごく美味しそうなのに、どうしてこんなモノが出来上がってしまったのだろう……。
 弁当を作って行くからと言われて、俺は昼食は何も持って来なかった。それは神原も同じ。
 ウチの高校は購買なし・食堂のみで、昼休みも半分を過ぎた今の時間では、人がいっぱいなうえ食券もほぼないだろう。放課後に部活があるためこの量ではあまりに少ないのだが、放課後まで校外に出ることは出来ないし、食堂は昼休みしか開いていない。
 結果、腹が鳴らないかとヒヤヒヤしながら午後の授業を受け、放課後の部活が終わった頃には栄養不足でバテてしまっていた。調子が悪いのか、と友人たちに心配されたりもしたが、その理由を話すのは神原に悪い気がして適当に誤魔化していた。
 そんなことがあって少しの間、神原とは少しぎくしゃくしていた。
 尤もそんな空気だったのは、ほんの1・2日ほどだけだ。正直弁当は美味しいとは言えなかったが、俺のために作ってきてくれたことに関しては純粋に嬉しかったのだから。
 ただ、もし次回があるのなら、美味しいものとは言わないから、完食出来るものを頑張って作ってもらいたい……。そんなことを思った。







 そして少しばかりトラウマとなった昼食から約1週間が過ぎた昨日、神原からメールが送られてきた。
『明日お弁当作って行くから、お昼ご飯用意しなくていいからね〜♪』
 あれだけ不味い――…もといあまり美味しくなかったというのに、立ち直りは早いらしい。
 それにメール本文の末尾に♪≠付けていることを考えると、もしかすると今回は少し期待してもいいのだろうか…? と思わずにはいられない。
 ただ今回は、前回のことを踏まえて、今朝登校前にパンを買ってきた。神原には悪いとは思うが、放課後に部活がある以上、何かを蓄えておく必要がある。
 もし今日の弁当も前回と同じく、食べられるようなモノじゃなかったら―――神原に隠れて、こっそり食べるつもりだ。幸い彼女とはクラスが違うから、隠れて食べることはそう難しくはない。
 神原の気持ちを裏切る行為のような気もするが、ある程度激しい運動をする健全な男子高校生なのだ、これくらいは目を瞑ってもらいたい。
 そして4時間目の授業が終わって昼休みになり、部室へ独り向かう。
 周りは俺たちが付き合っていることは知っているが、だからといってわざわざ連れ立って行こうという気にはなれない。しかもこの時間に一緒にいるとなれば、一緒に昼食をとると言っているようなものだ。
 ちなみに神原とは、男女で顧問は違うが同じソフトテニス部。
 備品などの貸し借りで互いの部室に出入りすることも度々あるから、入ることに関しては特に気兼ねするようなこともない。
 それに3年生は夏で引退して、俺たち2年が現在の最高学年なうえ、部室は教室のある棟から少し遠く、夏は暑く冬は寒いと良いとは言えない。部活以外で人が来ることは少なく、冬に足を突っ込んだ今の時季も然りだ。
 だからこそ、周りを気にせず2人で食べれる場所という条件では、ある意味良かったりする。前回弁当を食べたのも、この部室だ。
 こういうシチュエーションの時は屋上がイイ感じ(というか、そういうイメージ)だが、生憎ウチの高校の屋上は立ち入り禁止である。
 部室で待って暫くすると、神原がやってきた。その手には、弁当箱が入っているのであろう布製の小さい鞄と、コンビニのマーケット袋。神原自身の昼食は、コンビニで買ったおにぎりらしい。
「どーぞ! 今日はちゃんと味見もしてきたから、大丈夫やで。……前はホンマにごめんな?」
 その言葉を聞いて、安心した。神原自身が味見をしたということは、少なくとも完食出来るのだろう。
 どうやら教室に置いてきたパンは、昼食という意味では良い意味で無駄になりそうだ。
 神原から弁当を受け取り、蓋を開ける。そこには前回と同じく、色取り取りのおかず。見た目もやっぱり美味しそうだ。
 ……ただ、その…、コレは一体、なんだろう。
「………なに、コレ」
 思わず、そんな言葉が出てしまった。
「ん? 何って、お弁当に決まってるやん。見て分からへん?」
「いや、そういうこと聞いとるんじゃなくて、その……」
 間違っていたら神原に悪い。せっかく作ってくれたものを否定することに近いのだから。……それでも、俺の予想は間違っていないはずだ、たぶん。
「――…コレ、おかず殆ど冷凍食品ちゃうん…?」
「え、すごい、当たり! 何で分かったん!?」
 ミニオムレツ、スパゲッティ、肉団子、インゲンの胡麻和え、鶏のから揚げなどなど、実に色鮮やかで栄養も偏りはないように見える。
 ただそれはほぼ全てカップに入っていた。
 よく弁当に入っているような銀色のアルミ製のものではなく、色の付いた紙のカップだ。前回の弁当に入っていた、ミニグラタンの容器と同じような、少し厚めの紙カップ。
 だからもしや、と思ったのだ。果たしてそれは間違いではなかったようで、このどれも美味しそうに見えるおかずは、殆ど冷凍食品らしい。
 カップではなくレタスの上に乗せてある、鶏のから揚げだけは冷凍食品ではない、ということなのだろう。
「でも実は、おかずは全部冷凍食品なんやけどな」
 ……全部なんかい。
 ということは、神原の言うことが正しければ、唯一冷凍食品ではないものというと、ふりかけがかかっている白米だけ、なのか―――。
「―――た、確かにコレは弁当やけど……」
「大丈夫やて、味は保障するから!」
「……いや、これで不味かったら、それはそれですごいというかやなぁ」
「とにかく食べてみて…?」
 神原はずいっと身体を寄せてきて、「食べて?」と目で訴えてくる。
 その迫力に押されるように、箸で摘まんだ鶏のから揚げをひと口に入れた。ゆっくり、咀嚼する。
「……どお?」
「――…ん…、美味しい」
「ホンマ!? 良かった〜……」
 さすが最近の冷凍食品は、冷めても美味しい。冷めているのに柔らかくジューシーだ。
 次にオムレツを食べてみたが、これも見た目と違わずふんわりしている。本当に美味しい。
「前の失敗踏まえて、ちゃんと美味しいモン食べてもらえるように頑張って考えてん」
 そう言う神原の表情は、すごく嬉しそうで、満足そうでもあった。その表情を見て、俺も自然と笑みが出てくる。
 それに前回言えなかった「美味しい」という言葉が、意識せずとも出てきたことにほっとした。
 あぁ、このほんわかとした雰囲気を味わうことも、彼女に弁当を作ってもらいたい、ということが夢であった理由の1つだ。大袈裟だが、今は本当に幸せな気分である。
 ――…ただ、確かに弁当はすごく美味しいし、浸っているこの雰囲気にも満足なのだが。
 冷凍食品で埋め尽くされた弁当は、彼女に作って≠烽轤、弁当、とはちょっと違うような気がするんだが、気のせいだろうか……。



 それからというもの、神原は週に1度ほどのペースで弁当を作ってきてくれるようになった。
 ……おかずは全て、冷凍食品なのだが。
 それでも毎回同じものが入っているわけではないし、おかずの色もいつも取り取りで、色を見るだけでも、ちゃんと栄養のバランスを考えてくれていることが分かる。
 その辺りは、やっぱり神原は料理を全くしないわけじゃないんだな、と思わせられる。
 そうして俺は、週1回バランスの取れた昼食をとり、同時に今時の冷凍食品の美味しさを実感していくのであった。






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大学の文芸サークル、最後の作品です。
デリカテッセンは独語で、洋風の調理済み食品やお惣菜屋の意味。
デリカテッセン=不味いお弁当→おかずは冷凍食品、
という感じで膨らんでいった話でした。