055:砂礫王国

 誰もが願うことだろう、平和が続けば良い、と――。
 だが、現実とは願うだけではどうにもならない世界(もの)なのだ。

 

 

 争いごとのない平和な国、ミナト王国。
 その中央に位置する城館で、侍女の叫び声が響き渡った。
 何事だ、と駆ける者たちに訊こうとする前に、侵入者がいると国王は彼らから報告を受ける。
 侵入者は不可解な魔法を使うため、同じように魔法を使う者たちからは嫌われている、リョウという名の男。
 国王自身目にしたことはないが、やはり噂というものは必然と入ってくる。
 もしかすれば噂だけが独り歩きをし、彼のことは誇張されているかもしれないが、魔法を使う者だということは事実であろう。
 しかし争いごとがないとはいえ、最低限の警戒をしている中で、一体どのようにして侵入したというのだろうか。
 妻は、娘は無事だろうか。
 平素からこのようなことは起こらないため、焦りの心が出てくる。
それを無理に押し込め、威厳を表し城内の者を誘導させることを優先した。

 

 間もなく、かろうじて城内の者は皆、外へ避難することが出来た。
 周囲を見渡せば見慣れた顔触れがあり、国王はひとまず安堵の溜息を吐く。
 しかし、それはまさしく一瞬の安堵でしかなかったのである。
「王! 王女様がどこにも見当たらないのですっ」
 息を切らしてやってきた兵士の言葉に、驚愕の表情をせざるを得なかった。
「何だと!? まさか、まだ城内に……」
 城内の者と駆ける妻の姿は見かけている。娘の姿はなかったものの、誰かと共に避難しているだろうと信じていたかったというのに。
 こんなことならば、誰かに娘を共に連れ出してほしいと頼んでおくべきだったと悔やんでしまう。
 もちろん事が起こった時に、そんなことを考えつくほど冷静な判断は出来てはいなかったが。
 いや、こんなことを考えている暇はない!
 大きく頭を振り、国王が城内に戻ろうと踵を返した、その時。
「ほう、良いことを聞いたな」
 眼前に見知らぬ顔があり、思わず慄きそうになる脚を何とか持ち堪えた。
 するとその顔は離れていったかと思うと、ふわり、と城館の傍に建てられた石柱の上に足を置く。
 薄墨色の衣、というよりは大きな布に包んだ長身。その布に映える、胸に光る紅いペンダント。薄笑いをする切れ長の瞳。
 恐らく彼が、この騒動を起こしているリョウという男なのだろう。
 早く、早く娘を見つけ出したいというのに、門柱にいられては城内に戻ることは出来ない。
 どうすれば、と頭を抱えている最中、国王を始めとする皆々は信じられない言葉を耳にする。
「こんなちっぽけな城、簡単に壊してくれるわ!」
 ほんの数秒のことだった。
 リョウが呪文を唱えた直後に、城は砂山を壊したように簡易に崩れてしまった。
 その様子に誰もが息を飲み、目の前で起きたことを理解しようとする。
 いや、寧ろ現実だとは誰も思いたくなかっただろう。
 その中で、誰よりも早く声を上げたのは王妃だった。
「アリサッ…、アリサー!」
「王妃、今そちらに行っては危険です!」
 駆け出そうとする彼女を、兵士は必死になって止める。
 未だ傍にリョウがいる以上、迂闊に動いては、いつこちらに鉾先が向けられるか分からない。
 兵士たちも王女の安否が気になるが、だからと言って自分たちが仕える王や王妃を危険に晒すわけにもいかないのだ。
 もちろん王妃も頭の中では理解しているだろう。
 だが頭では理解していても、そんな悠長なことは言っていられない。
 娘を、最愛の娘を助け出さなければ…。その思いが抑えきれないのである。
「フフフ、フハハハッ!」
 王妃の叫喚と、リョウの哄笑(こうしょう)だけが、崩れ去った城館しか見えぬここで、虚しくぶつかり合っていた。

 

 

 

「亜理紗、遼、そろそろ帰るわよ」
「あ、はーい」
 遠くから聞こえる、女性の声。
 それに答えるように、子供の2つの声がほぼ同時に発せられる。
 砂浜では、今まで遊んでいたのであろう、幾つかの小さな人の形をしたブロックの玩具についた砂を掃い、リュックの中に入れる姿も2つ。
 入れ終わった後は、自分たちの服についた砂も掃い、母の方に駆けて行く。
「楽しかったね」
 満面の笑顔で言うのは、短髪に短パンの男の子、遼。
 それに同じく笑顔で返事をするのは、セミロングの髪にワンピース、そして遼とよく似た顔の女の子、亜理紗だ。
「でも、簡単にお城を壊しちゃったのは、もったいなかったかなぁ?」
 振り向いた亜理紗の視線の先には、崩れてしまった砂の城。
 2人で懸命に作ったものである。
 そうだね、と遼も少し残念そうな表情で言った。
「そだ、アリサ王女はどうなっちゃうの?」
 母の後ろをトコトコと連れて歩きながら、ふと思った疑問。
 先程までの遊びは母に中断されてしまい、亜理紗がしていたアリサは、崩れた城館――砂の城の下敷きになってしまったままだ。
 ただ、遊んでいる時に次の展開を考えていなかったのか、亜理紗は頭を捻り出す。
「う〜ん…。他の国の王子様が助けてくれる、とか…?」
 自分の名の登場人物がいなくなってしまうのは哀しくもあり、寂しくもある。
 無理やりにしても、アリサを再び登場させたいと思うのは、考えられなくもないだろう。
 そんな展開に少し不満なのは遼である。
 とは言っても、その展開自体に不満があるわけではなく、
「え〜…、それなら僕、王子様がよかったなぁ」
 悪い魔法使いがリョウだったために、恰好良い王子がよかったと思ったのだ。
 しかし、今更遊んでいた背景を変えたところで何もなく。
 ただの遊びだと言ってしまえばそれまでだが、やはり子供なのだろう、そう簡単に割り切ることは出来ない。
 足取りが、気持ち重くなってしまっている。
 ちょっぴり肩を落とした遼に元気を出してもらいたくて、彼の隣を歩く亜理紗はもう1度頭を捻った。
 大抵彼女が物語の背景を考え、人形やブロックに付属されている人型のものを使って遊んでいる。
 どうやら話を考えることが好きなようで、何とか思いついた先程の展開は次のようになった。
「じゃあ、その王子様の名前もリョウで、魔法使いのリョウと顔もそっくりとかは? それでアリサを助けたけど、魔法使いとすっごく似てるから、王様とかがビックリしちゃうの!」
「それ面白そう! 亜理紗はすごいなぁ、色んなお話考えついちゃうもん」
「えへへ…」
 大好きな兄に褒められ、照れ臭そうに笑う亜理紗。
 そんな妹が大好きな、遼。
 湊家の子供は、自他共に認める仲の良い双子の兄妹である。
「じゃあ家に帰って、続きして遊ぼう!」
「うん!」
 2人は既に父が乗って待っている自動車の、後部座席に座る。
 運転席の父、助手席の母は、思った以上に楽しんでくれた子供たちに、笑みを零した。
 約40分かけて来た海辺を後にし、自宅へと車を走らせる。
 ちなみに結局2人は、自宅に帰るまでも遊んでいた。
 尤もそれは現実ではなく、夢の中であったが……。