084:鼻緒

 昨日から降り続いている雨は、止む気配を見せない。
 豊かな生活を送るためには雨水は大切なものだが、それでも定住先のない俺たちからすれば、あまり嬉しいものではなかった。

「靴紐が切れると縁起が悪い、って聞いたことある?」

 何をすることもなく、宿の窓から雨の降る外を眺める。
 そうしてアイツの帰りを待つ間、彼女は突然そんなことを口にした。

「……靴紐、ですか? 初めて聞きますけど」
「ジンクスの類みたい。昔、義姉さんに教えてもらったのを思い出したの」

 そんなことを言われれば、思わず彼女の足下に視線を向けてしまう。
 視界に入るのは、見慣れたブラウンのショートブーツ。
 尤も、履いているのは右足だけという、アンバランスな恰好なのだが。




 話は一刻ほど前に遡る。
 この宿に一泊した今朝方、隣の部屋を利用していた彼女が扉を叩いた。

『あ、キサラさん。おはようございます。早いですね、もう準備出来たんですか?』

 既に宿を後にする準備が整ったのか――。
 そう問うたのだが、返ってきたのは否定の言葉と、自分の足下を指差す動作。
 促されるように視線を動かすと、彼女の左足のブーツの紐が切れてしまっていた。
 紐で編み上げるタイプのため、辛うじて甲の部分だけで履いているという感じだ。
 話によると、ブーツを履き紐を結ぼうとした時に、ブチッという音と共に切れたらしい。

 このブーツでは歩くこともままならない。
 ならば宿を後にし、まずは新しい靴を買いに行こう。
 となるのが普通の流れだと思うのだが、そうはいかなかった。
 彼女が新しい靴を買うつもりはない、このブーツを履き続ける、と言ったのだ。
 つまりは靴を新しく買うのではなく、新たな紐を買う、ということ。
 結果、この雨の中で不安定な靴を履いて出かけることは難しい……。
 そう判断し、左足のブーツと切れた紐を持って、それに合う紐を探しに出ることになった。
 そうして今は、その役を担ったアイツ―――エフィシウスの帰りを宿で待っているというわけだ。

「ね、レンくんはジンクスとか占いとか信じる方?」
「あまり信じないですね…。まぁ、根拠があれば別ですけど」
「そっか…。私は何の根拠がなくても、直ぐに信じちゃうんだよね。子どもみたいでしょ」

 そう言って、歳相応には見えない顔を自嘲の笑みで崩した。
 恐らくその言葉の真意は、年齢には似合わずとも、外貌から見ればさほど違和感はないのかもしれない、ということなのだろう。
 自他共に認める…、などと口にしてしまえば怒られそうだが、彼女は実年齢よりも幼く見える。
 コンプレックスとまではいかないが気にはしているようで、時折こうして肴のようにして話すことがある。

「でも……」
「?」
「信じるっていうより、信じたいのかもしれない。そうして何かに縋って、依存していないと……」
「キサラ、さん…?」

 少し俯くようにして話すその表情は、どこか哀しそうで。
 ……どこか、今にも毀れてしまいそうな、脆さのようなものがあった。

「……ぁ、あの…」
「―――ごめん、何かしんみりしちゃったね。特に深い意味はないから気にしないで」

 だが、その表情も直ぐに消えてしまう。
 それが意図的なのか、そうでないのかは俺には分からない。
 ただ言えるのは、このことに対してこれ以上訊くのは利口ではない、ということ。
 あの毀れそうな危なげな空気はなくなったのだ、それを無理に蒸し返す必要などない。

 ……よし。
 滅多にない2人きりの時間なのだ、彼女をたくさん笑わせよう。
 アイツが帰ってきた時に、一体何の話をしてたんだ、と気になるくらい、楽しい話を。
 彼女が笑って、アイツが怪訝な顔をする……。
 それはある意味、俺にとって一石二鳥なことなのだから。






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短いうえにファンタジー……。
これではどんな話かサッパリだと思うので、
興味のある方は更新日のblog参照でお願いします。
とはいっても、簡単な人物設定等しかないですが(苦笑)