085:コンビニおにぎり

 風が冷たくなってきて、剥き出しの手を擦る。そろそろマフラーと手袋が欲しくなってきた、そんな季節。
 学校指定のカバンを肩にかけて。右手の袋にはついさっきコンビニで買った、ペットボトルのミルクティーに大好物の蒸しパン(ちなみにレーズン入り)。
 私――浅井未奈は今、登校中。
 市内の公立高に電車で通っている私は、人込みがあまり好きじゃない。入学してから1年以上経った今日も、始業時間に間に合うのより1本早い電車に乗るつもり。
 始業時間に関してはどの学校も大体同じだから、1本っていうのはかなり大きい。
 その分特に登校の時は1人が多いけど、それが嫌いなわけでもないし、宿題とかも学校で出来るから、一石二鳥とはこのことだといつも思う。
 そんなわけで、ホームで約10分後に来る電車を待っていた。そうしたら、
「きゃっ…」
 誰かが私にぶつかって、その拍子にコンビニの袋を落としてしまった。その人は急いでいたらしく、軽く「ごめんなさい」と言っただけだったけど。
 とにかく誰かに踏まれないようにと、手を伸ばして屈もうとしたら。

 コンビニの袋の上からなのが不幸中の幸い、っていうのか、思い切り踏まれた。
 大好物の蒸しパン…。

「ああっ! ごめんなさい! ちょっとボーっとしてて…」
 そう言いながら拾うその声は、男の人。ふと顔を上げた時、視線が合った。
「君、は…」
「え…?」
 マジマジと私を見ているように感じた瞳に、一瞬ドキリとしてしまう。
 友達がここにいればきっとカッコイイ!と黄色い声を上げそうな、そしてとても優しそうな瞳。
「あっ…いや、知り合いの妹が通ってる学校の制服だったから…」
 差し出された袋を受け取った。
 そういう彼は、1つ上のお兄ちゃんと同じ学校の学ランを着てる。しかも学年章を見たら、これまた同じ3年生。
 ただ、どこかで見たことがある気がした。絶対に会ったことがある。あるはずなんだけど…。
「…ねぇ、ツナマヨのおにぎり食べられる?」
 突然そんなことを聞かれて、少し動揺していた私は「だ、大好きです」と答えしまった。
 あ、大好きなのは本当なんだけど、そこまで言う必要はなかったかなぁなんて思ったから。
 すると、その人はよかった…と胸を撫で下ろして、指定のカバンの中から何かを取り出した。それは…。
 ――おにぎり?
 私と同じコンビニの袋。中にはたぶんおにぎりが2つ。
「これあげるよ。いくら何でも俺が踏んだパン、食べたくないだろ?」
 そりゃああれだけ思い切り踏まれたら、食べようとは思わないけど…。
 その人は私が何て答えたらいいのか困ってるのが、分かったんだと思う。
「じゃあ、パンとおにぎり交換。俺が踏んじゃったから、そのパン食べるよ」
 私は呆気にとられた。いくら何でも親切すぎない?
 そんなことを思ってる間にも、コンビニの袋を差し出されて。私には反対に断る勇気がなかった。
 ペットボトルを取り出してたぶん潰れている蒸しパンの入った袋と交換する。
 もしかしたら、お兄ちゃんが知っている人かもしれない。
 そう思って名前を聞こうとしたけど、なかなかそのひと言が出てこない。やっと気持ちも落ち着いて、さぁ聞くぞ!と決心したというのに…。
 何て運の悪い私。
 丁度電車が来たとのアナウンスで、第一声はかき消されてしまった。しかも友達を見つけたみたいで、
「それじゃあ、ほんとにごめんな」
 と言うと、1両車が来る辺りの方へ歩いて行く。
 私は「あ…ありがとうございました!」としか言えなかったけど、その人は振り向いて微笑んでくれた。
 何だか、フワフワと宙に浮いている気分だった。

 

「あれ、蒸しパンじゃないの?」
 その日のお昼休み。高校に入ってから友達になった唯と、
「そういえば今日って水曜日だよね。売り切れだった?」
 紀子が不思議がって声をかけてきた。
 ちなみに私は、月・水・金曜は蒸しパンに決めてる。火・木曜はツナマヨのおにぎり。蒸しパンの方が多いのは安くつくからなんだけどね。
 それを知ってる2人は、そう聞いてきてもおかしくない。でも今朝のことを話す気にもなれなくて、まぁねと曖昧な返事をした。
 未だにあの人が誰だったのか思い出せなくて、頭の中でぐるぐるとそのことばかり考えてたっていうのもあるけど。
 それでも背に腹はかえられないというか、食欲には勝てないというか、気付けば2個目のおにぎりに手を出してたんだよね。
 ついでに、この日私は2人の話を何ひとつ聞いていなかったから、後でこっぴどく叱られた。

 

 

 それから数週間後、1度もあの人と会ってない。あの日はたまたま早い電車に乗ってたのかな。
 そんなことを考えながら家に帰ると、玄関にはスニーカーが2足。1足はお兄ちゃんのもの。でももう1足は…。
「ただいま」
 台所で夕ご飯の支度をしてるお母さんに声をかける。
 するとお母さんは、今お兄ちゃんの友達が来てるからこれを持って行って、と缶ジュースとお菓子を乗せたお盆を私に渡した。
 私の部屋は2階のお兄ちゃんの部屋の隣だから、別にいっかと思ってそれを受け取る。
「へーい」
 私がお兄ちゃんの部屋のドアをコンコンと叩くと、中から返事が聞こえた。
「お母さんがこれ、を……あ!」
 中に入って渡そうとした時。思わず声を上げてしまった。
 だって…目の前にいたのは、あの日おにぎりをくれた人……。しかも、
「あ、お邪魔してます、未奈ちゃん」
 どうして私の名前知ってるの!?

 

 話を聞くと、お兄ちゃんとは小学校からの友達で、昔はよくうちに遊びに来てたらしい。でも中学に入ってからは、部活とかもあって殆ど来なくなったって。
 私がどこかで見たことがあるって思ったのは、たぶんうちに遊びに来たときだと思う。
 それを今まで覚えててくれたなんて…。
 嬉しいけど、何だか恥ずかしい気もするなぁ。私は結局思い出せなかったんだし。
 とにかく、前とは違ってゆっくりと時間のある今、ちゃんと言わなくちゃ。
 このあいだは、ありがとうございましたって。