Get out of here!


 頬を撫でる温かな風と日差し。
 心地良いそれに、思わず目を細めた。
 正直退屈だと思う時があるほど長かった春休みも、残り約1週間。過ぎてしまえば、もう直ぐに4月になってしまうのか、と物足りなさを感じる。
 なんて思いつつも、今日も何もすることがなくて暇だった俺は、自転車に乗ってふらりと家を出た。
 出た、と言ってもせいぜい20分ほどで着く最寄り駅までだ。そこで足を止めることなくUターンして、今は自宅に帰る途中。
 それでも、あまり風は吹いてないから気持ち良いだろう、という予想はビンゴだった。まさに春らしいぽかぽかとした陽気で、自転車を漕いでいても全く苦痛と感じない。寧ろこの陽気のお蔭か、漕ぐ脚がとても軽いような気さえする。
 1時間もなかったものの、良い気晴らしにもなって気分は上々。
 だから余計に、このまま家に帰るのが何となく勿体ない気がした。
 暇だと感じるほど時間はあるんだ、せっかくだしもう少し遠回りをしても無駄なんてことはないだろう。そう思って畑ばかり広がるここから、住宅街の方へ行き先を変えようとした時だった。
 ――…なんだ、あれ。
 不審人物、発見。畑の土手に座っている奴を見付けてしまった。
 見なかったことにしてしまおうか。でももし奴が俺のことに気付いて、周りに人が殆どいないとはいえ大声で名前を呼ばれるのは厭だ。あ、というかこうして考えている間に、さっさとこの場を離れれば良いのか。
 そういう考えに辿り着いて、再び足に力を入れ、止まっていたペダルを動かし始める。
 尤も向かっていた先は住宅街方面ではなく、自宅でもなく。自分でもよく分からないのだが、何故か土手に座る奴の所だった。
「聡、こんなとこで何しとんねん」
 サドルから下りることなく、地に足を付けて自転車を止める。そのまま俺は、相も変わらず腰を下ろしたままの目の前の奴に声をかけた。
 サドルから下りなかったのは、俺は偶々ここを通って、あくまでお前に声をかけたのはついでなんだ、ということを表したかったからだ。まぁ実際こんなのはどうでもいいことなのだが。
「あ、寛朗(ひろあき)」
 聡は下半身はそのまま、上半身を反るように顎を上げて、背後にいる俺の方を見てきた。だがさすがにその体勢は少し苦しいのか、上半身を前方に戻すと次は腰を捻って右手側から顔を向けてくる。
 その顔は苦笑いを作成していて、さっきの上半身を反った辛い体勢を諦めて今の体勢に変えたことがそれの理由だと気付き、俺も少し乾いた笑みを零した。
「寛朗こそ、自転車でどっか行っとったんか?」
 先にこっちの質問に答えろよ…と思いながらも、まぁいいか、なんて結論を出した俺は、家を出てからここに至るまでの経緯を話す。
 そうは言っても別に遠出したわけでもないため、面白おかしく話すようなこともなく。「散歩がてら駅まで行った帰り」で説明は終わってしまった。
 まぁでも聡の質問に答えたのには変わりないだろう。
「で、聡は?」
 俺は答えたのだから次はお前の番だ、と言うように顎で促す。独りでこんな所に座っていたのだから、何か面白い話でも聞けるのかもしれない。そう思っていたのだが―――。
「ん〜……、自然を肌で感じとった、みたいな?」
 この時の俺の顔は、何とも不細工だったに違いない。いや、不細工というよりは間抜け、だろうか。
 口はぽかんと半開き、瞬きは忘れ、四肢も動かない。自転車を支えることも頭から抜けていて、俺の手という支えをなくした自転車が横に傾き倒れそうになったところで、漸く我に返ったほどだった。
(因みに無様過ぎて、自転車と一緒に俺の身体まで倒れそうになって内心焦っていたことは、聡には悟らせないよう装っていたりする。)
 だって仕方ないじゃないか。全く予想していなかった言葉を、そんな言葉が出てくるとは思えない相手から発せられたのだから。
 聡は小学校から、つい1ヶ月ほど前に卒業したばかりの高校まで、ずっと一緒の学校に通っていた同級生だ。高校まで、という通りさすがにそれ以後の進路は違っていて、俺は自宅から電車で通える距離の私立大学。そして聡は実家を離れ、県外の国公立大学へと進学を決めた。
 名前の字とは時に、まさしくその人を表すモノになる。
 その字の如く、聡はとにかく勉強がデキる奴だ。だからといって勉強大好きなガリ勉クンというわけでもなく、高校の時は空手部の副主将も務めていた。性格もサッパリしていて、男の俺から見てもイイ奴≠ナあり、同時に羨ましい奴≠セったわけだ。
 なら俺はどうなのかと聞かれれば、これまた名前の字は俺の性格をよく表しているとよく言われる。
 寛大で朗らかな子に―――、という願いで付けられた名。寛大と言うと大袈裟だが、結構心は広い方だと思うし、楽観的なタイプだろう。物事に対してあまり気にしないという、良くない意味で捉えることも出来るのだが。
 まぁ俺のことなんかどうでもいいか。とにかく小学校からかれこれ12年の付き合いになるし、友達の中ではかなり仲の良い方で。互いの性格もある程度は分かっているだろうと思っていた。だからこそ、
「家出るやん? だからなんつーか、こう、不安だらけで押し潰されそうっていうか……」
 顔を身体と同じ前方に向き直して(つまり、俺から顔を背けて)そんな言葉を漏らした聡に、俺は再び呆気に取られた。
 要は聡は恰幅の良い身体に見合った図太い神経で、慕われ易く外向的な性格から、どこに行っても馴染めるような奴だと俺は思っていた、というわけだ。実際はどうやら思い違いだったらしい。
「まぁ確かに自炊とか洗濯自分でせなアカン思たら面倒やけど、自分独りなわけやんか。気楽でええな〜とか思うけど」
 相変わらず自転車のサドルに跨ったまま、上半身を少し屈めてハンドルに凭れかかるようにして、俺は自分の意見を述べる。
 これは素直な気持ちだ。束縛されない、自由な時間と空間。家族が嫌いというわけではないが、やっぱり独り暮らしというものには憧れる。
「俺も最初はそう思とったって。でも実際20年近く住んどったトコ離れるってなったら、結構辛いモンやで」
「……そんなモン?」
「寛朗もそないなったら分かるって。俺、荷物の整理しよう思って2・3日向こうに独りでおったんやけど、ちょっと耐えれんかったんやから」
 聡はそう言って笑う。
「で、こうやって少しでもここの空気とか持って向こう行きたいなぁ……っていうのは冗談で、忙(せわ)しないこういう所でゆったりしたいなぁ思て」
 正直、まだ自宅を離れない俺にとって、聡の気持ちはイマイチ理解出来ない。もし独り暮らしをすることになっても、不安や寂しさなんかより楽しみや期待、独りという喜びの方が勝(まさ)っている気がする。こういうところも、性格からなのかもしれないが。
「あ、なぁ寛朗。お願いあんねんけど」
「……なに?」
 衝撃の(?)告白をしてから、聡は初めて顔をこっちに向けて、照れ臭そうにお願い≠してきた。
「あんな、また4月入ったらメールしてくれへん…? 向こう行っても知り合いおらへんやろから、慣れるまで不安やし、ぶっちゃけ寂しいっちゅーか……。まぁ兎みたいに死にはせんやろけどな」
 センチメンタルというか、何となく悲観的っぽいのは聡のイメージではない。が、もしかしたら俺が知らなかっただけで本来はそういう性格かもしれない、ということであえてこれには突っ込まないでおこう。
 今大事なのはたぶん、聡はここを離れて独り暮らしになることに不安や寂しさがある、ということを俺の中で受け入れることなのだから。
 同じ大学に行く中学・高校の同級生は何人かいるが、それでも俺だって新しい土地に行くことに不安はある。聡の場合それに加え、県外に出ることで知り合いは殆どゼロに近いだろうし、独り暮らしのため傍に頼れる人もいない。そう考えれば、たとえ気楽な独り暮らしという楽しみがあったとしても、相殺されてしまうだろう。
 なら俺が何て返事をするべきかは決まっている。当然、イエスだ。それに断る理由だってない。
 俺の「メールを送る」という返事を聞いた聡は、少し安心したように小さく息を吐いていた。
 でも「寛朗、あんがと」なんて少しはにかみながら言われた時には、これまた聡のイメージではないことと、男の聡がはにかんだというあまり嬉しくない相乗効果が現れて。恥ずかしいやら照れ臭いやら軽く鳥肌が立つやらで、思わず視線を逸らしてしまった。
 だから頼む、そんなどうかしたのか、と言わんばかりの目で見ないでくれ………。





 そうして気付いたら、既に4月も下旬。ゴールデンウィークを直前に迎えていた。
 結局あれ以来、聡には全くメールはしていない。
 正直なところ俺も大学に慣れるのに必死で、そんな余裕などなかったのだ。因みに、聡からもメールは来なかったのだが。
 ゴールデンウィークがもう直ぐだからといって、講義内容がラクになる、なんてことはない。講義は全て週に1コマしかないということに加え、長いとはいえ連休は1週間もないのだから、仕方ないだろう。
 それでも、連休というだけで良い意味でも悪い意味でも、気持ちは幾分か軽くなる。連休まであと何日、という数字が気持ちに余裕をもたらしてくれる。
 だから漸く少し余裕が出てきた今、聡にメールを送ろうか、という考えが浮かんだ。あくまで忘れていたわけではない、と主張したいのだが、まぁこれも何と言おうが言い訳にしか聞こえないだろうから、どうでも良いことか。
 さて、何て送ろう。本題としては、ゴールデンウィークにはこっちに帰ってくるのか、といったところだろうか。でもその前に約束したのに送らなかったことを謝る必要があるな。謝っておかないと、恐ろしいことになる気がする。
 後は無難だが、俺の近況報告。それから聡自身は大学や独り暮らしには慣れたのか訊いてみるか。気兼ねなく話が出来る友達は出来たのか、ちゃんと自炊してご飯は食べてるのか、大学の講義には付いていけそうなのか、等々。
 ……色々と訊きたいことが浮かんできたのは構わないのだが、何となく自分の元を離れた子どもに対してのような心情に近いのは、気のせいだろうか……。
 頭の中でメール内容の構成を終えた俺は、忘れてしまわないうちに、と思って携帯電話を取り出し聡宛てにメールを作成し始める。
 自宅の最寄り駅行きの電車が到着するまで、あと15分弱。これなら何とか電車に乗るまでに送信出来るだろう。
 漸く届いた俺からのメールを見て、聡は一体どんな表情をするのだろう。怒り呆れるだろうか。それとも酷く安心したような、それでいて少し泣きそうな、などという、またも今まで見たことのないような表情だろうか。
 そんなことを考えて、俺は周囲にいる人に分からないくらいに、こっそりと笑みを零した。

 

 

 

 

 


2006.4.29

4月期のサークル会報(新入生歓迎号)に出した作品。
新入生には4月下旬に会報を渡したということで、
時期としては近い部分があって丁度良かったんじゃないかな、と。
タイトルは「そんな莫迦な!」「まさか!」など。
こんなに長く一緒にいるのに知らなかった…みたいな、
寛朗の、聡に対する心情という感じ。




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