人間(ヒト)を捨て、未来(あした)を捨て。


 争い事など一切ない、小さくとも平和な村、ルバウト。
 そこに突如として現れた、在郷の村には不釣り合いな城。
 一体何なのだろうと恐れ慄いている最中、勇気があるというべきか、無謀というべきか。
 その城の正体を暴くべくそこへ行くと言う者がいた。
 そして駆けて戻ってきた彼らは、息を切らせてこう言ったのだ。
 彼奴は悪魔だ――、と。







 ある時村を襲った、例にない豪雨。
 木々はなぎ倒され、河は氾濫。更に土砂崩れにより避難することが出来ず、取り残されてしまった者たちも大勢いた。
 外≠ノ出る方法がないわけではない。全てとまではいかないが、その殆どが水と共に流されてしまった村。違う地で新たに生きてゆくのもまた、選ぶべき道の1つだろう。しかし彼らは長年住み慣れたこの地で、また暮らして行きたいという思いを持った者たちばかりだったのだ。
 それがここ、ルバウトである。
 ルバウトとは、伝承されてきた神話に登場する神の名。元々周辺の村々は自給自足、物々交換。貨幣が出回る繁華地との交流は殆どなかったため、古くからの伝承や文化などが、ここでは色濃く残っている。だからこそ神の名を付け、新たな村として歩み出すことを決意した。
 また、村の全人口は50人を満たすか満たさないか。互いに助け合い生きていくことは、誰もが当然のことと思っていた。
 そしてルバウトが生まれてから、10年が経ち。挫けそうになりながらも彼らは耐え抜き、災害以前と同じような生活が出来るようになるまでなったのである。この10年で消えていった命もあったが、新しく生まれた命もあった。山に囲まれ孤立してしまった村は、ひっそりとではあるが今もこうして生き続けている。
 改めて皆でこの喜びを分かち合い、一晩中騒ぎ立て、結果その殆どが疲れ果てて寝床についた翌日。夜が明けた外には、壮年の男性が1人いた。昨晩の疲れはどこかへ行ってしまったとしか思えない軽い足取りで、連日のように朝早くから畑仕事へと出かようとしている。彼にとってこれが当たり前の生活であるため、たとえ騒いだ翌日であろうともこうして出かけることに違和感などないのだ。
 だがそんな日常の中で、ふとどことなく違和感を覚えた彼は周囲を見渡した。特に変わった風もないか…、と思った矢先。蒼々とした山麓に、見たことのないものがあった。
 いや、実際に見たことはなくとも書物で目にしたことがある。あれは確か、城と呼ばれるものだ。ただただ山が連なるだけのここで、あまりに不釣り合いなそれは、存在を主張するかのように建っていた。
 違和感はこれか、などと言っている場合ではない。昨日あんなものはなかったはずだ。今の時間では昨晩の疲れから目覚めている者も少ないだろうが、そんなことはこの際構わないと、踵を返す時に躓きそうになるほど慌てて村の皆に伝え回った。
 幾ら何でも寝衣のままでは外へ出られないと、時間が経ってからぞろぞろと姿を見せる村の住民たち。最初こそ寝ているところを起こされて機嫌が悪い者もいたが、景観を目にした後は、言葉が出てこない者も少なくはなかった。
 突然自分たちが住む村に場違いな城が現れれば、誰でも驚くだろう。一体あの城は何なのだ。昨日まで、あんなものなかったじゃないか。誰かあそこにいるのだろうか。数多くの不安が飛び交う中、「見に行ってくる」と言った者が何人かいた。まだ若い、好奇心旺盛な青年たちである。
 危険過ぎるため止めておけと止めたが、誰かが行かなければ、村に危害を加えるものなのかどうかも分からないじゃないか。そんな彼らの言葉を否定するものなど、何も出てこない。
 結局その日、山麓にそびえ立つ城に行った青年たち。村の住民は彼らの帰りを胸が焦がる思いで待っていた。
 そして、とても長く感じた一刻が過ぎ。駆けて戻ってきた彼らに安堵するも束の間、息を切らせながら発した言葉に、またもや皆が驚いた。
 彼奴は悪魔だ、と言ったのだ。
 失くしてしまった以前の村より伝わる、神ルバウトと共に登場する悪魔。名はないが人間を襲い喰らうという。図体は大きく、闇を思わせる漆黒の髪と瞳を持つ者を、城内で見たと言うのである。
 それを耳にし、皆は混乱に陥った。今直ぐこの村から出て行くべきだと言う者もいれば、絶対にこの地を離れたくないと言う者。主張が飛び交う一方で、収集など全くつかない。
 こうした時、皆の意見を纏めるのは、やはりルバウト内で最長者にあたる長だ。悪魔を見た青年たちは、その悪魔と視線が合ったと言う。しかし彼らがこうして生きていることを考えれば、もしかすればその悪魔はこの村に手を出すつもりはないかもしれない。いや、もし悪魔を恐れてここを逃げ出したとしても、その前に捕まえられてしまう可能性もないとは言えない。
 今は全て推測でしかないのだ。それならば、このままここで暮らそう。ひとまず様子を見ようというのが、長の出した答えだった。







 悪魔が城と共にルバウトに現れてから、約5年。長の判断は正しく、あの日から城から悪魔が出てくることもなければ、もちろん危害を加えることもなかった。
 だからこそ誰が言い出したのかは、今では分からない。ただ、誰かが言った。
 生贄を差し出そう、と。
 先述した通り、悪魔は村に危害を加えたわけではない。しかしこれから先も今までと同じように、平和に暮らしていけるかどうかなど誰にも分からないのも事実。表に出さなくとも、皆見えぬ悪魔の存在に怯えながら、この5年間暮らしてきた。5年という長い月日は、彼らの神経をすり減らし、見えぬ恐怖を奥深くまで根付かせてしまっている。
 もうこの宙に浮いたままの不安な生活が耐え難くなっていた。限界だった。
 そのため生贄を差し出す交換条件として、今後一切村には手を出さないと約束してもらいたいと考えたのである。この村を出て行く、という選択肢はあり得ない、かつての災害でその殆どを失くしてもこの地を離れようとしなかったほどだからこその、苦渋の……しかし決して突拍子ではない考えだった。
 だが、村のためとはいえ、自分の命を安易に差し出すことなど出来ない。誰か特定の者を犠牲にしようとも勿論言えない。第1に自らの命があってこそ願う幸せな生活。皆、ここで共に暮らして行きたいのだ。
 因みに5年前に城の正体を暴こうとそこへ向かった青年たちは今、成人となり、もう無茶をしようとは言えない年齢になっている。
 やはり生贄など間違った解決法だ、犠牲を出してまで幸せな生活を求めるわけにはいかない。致し方ないが今まで通りの生活を続けるしかないだろう。
 その考えで纏りかけた時、名乗り出たのは少年、キリュウ。
 彼はかつての災害が起こる僅か数日前に産まれた子供なのだが、その災害で両親は亡くなっている。
 孤児となった彼を育てたのは、村の住人たちだ。正しくは当時子のいなかった夫婦であるが、様々なものを失った彼らにとって、キリュウは生きる希望だったのである。
 誰もが止めた。当前だ、かつて青年たちが城の正体を暴こうと向かった――結果として、悪魔だったのだが――時とはわけが違う。命を捧げるのだ、待っているのは恐らく死のみ。
 まして、彼は未だ14、5の少年。これからまだ道があるというのに、簡単に命を投げ出してほしくはない。住民の希望である、小さな命を―――。
 そんな少年キリュウの言い分はこうである。
 災害で両親を亡くした自分を、我が子のように育ててくれた。見捨てられてもおかしくはない自分を、生活が苦しい中で温かく見守ってくれた。だからこそ今、皆幸せに過ごしてもらいたい。恩を返すという意味でこの身を捧げようと思う。
 しかし住民たちにしてみれば、育てたことを感謝するならば、このまま生き続けてくれと願わずにはいられない。若い命を犠牲にしてまで、生き永らえたいとは思ってはいないのだ。
 今まで育ててくれた皆の役に立ちたい、というキリュウ。我々に育てたことを感謝するなら、このまま生き続けてくれと願う住民。どちらも譲らず、平行線を辿っていた時。誰よりも先にキリュウに合意したのは、彼の育ての父親であった。
 キリュウは私たちに許しを貰えなくとも、独りで勝手に城へ向かいますよ。それは、皆さんも分かっているでしょう?
 彼のそのやんわりとした言葉は果たして、皆の予想外だったのか、予想の範囲内だったのか。
 確かにキリュウよりも年かさの者ならば、1度決めたことは決して曲げないという、彼の性格は誰もが知っていた。知ってはいたが、それを受け入れがたいことには代わりない。
 どうするべきか思案し各々で話していると、父親に次いで母親も自分の息子に合意する、と小さな声を漏らした。その瞳は不安の色は拭い切れないが、芯の通った真っ直ぐなもの。誰独りと血の繋がりはないものの、キリュウを含むこの3人は家族なのだ、と納得するほどその瞳は同じ。
 こうなれば彼らに考え直せ、とは誰も言えず、快く送り出してやることしか出来なかった。間違った道を歩まぬよう導いてやるのが親や大人の務めならば、進みたい道を見つけた時に背中を押してやることもまた務めなのだろう。
 皆が考えていた以上に、周囲を見て自分のするべきこと、出来ることを理解していたのだ。彼をまだまだ子供だと思っていたのは育てた大人たちだけだった、ということ。大きく踏み出そうとしている彼を誰が咎められようか。
 ……ルバウトが新たに誕生してから約15年。悪魔がこの地に現れた時に次いで、2度目の転機が訪れようとしていた。
 そして今、キリュウは何も持たず後ろ手で手首を縄で縛り、独りで悪魔の待つ城へと向かっている。

 

 

 

 

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2006.6.11

2006年2月発行のオフ本より。
第3話から一部手直しとなります。



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