この話の結末は、救いがなく、
所謂ハッピーエンドではありません。
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 人生何が起こるか分からない、一寸先は闇。なんて言うけれど。
 そんなことを気にして毎日ビクビクしながら生きてる人なんて、特にこの平和ボケした日本では、ほんの一握りしかいないだろう。
 だからといって、それが悪いことだとは思わない。
 その日その日を必死に生きるのではなく、ずっと先の、将来のことを夢見て生きていけるということは、きっと倖せなことなのだから。
 そう、かく言う俺も、明日自分がどうなるかなんて、気にして日々を過ごしてはいなかった。
 成人したばかりの大学生の俺には、生も死も直接関わるのはまだ先のことだと思っていたのだ。




潮騒



 流行りの歌ではない、静かでゆるやかな音楽のみの曲が流れている。その音色は、こちらの気持ちを急かすことなく、心地良く通り過ぎてゆく。
「ありがとうございました、またお越し下さい」
 厭みではない声と笑顔で、店のエプロンに身を包んだ女性が声をかけ、小さめの紙袋を差し出す。そして彼女からそれを受け取った、つまり客という立場である少女は、店員に軽く頭を下げると踵を返して店を後にした。

 ここは比較的小さな雑貨店。店内自体あまり広いとは言えないため、置いてある商品もさほど大きなものはない。
 陳列している細々とした雑貨を見るのは女の子にすれば楽しいのか、当初の目的とは外れたものを見つけてキャッキャと喜ぶことも少なくはなかった。それでもそんな様子を見て、呆れによる溜息を吐くだけでなく微笑ましいなぁと思っている辺り、俺も相当末期というか、可愛くて仕方ないのだろう。
 ……別に惚気を言っているわけではない。あくまで状況を説明しているということを念頭に置いてもらいたい。
 朝から幾つか店を回り、最終的にここに落ち着いて約1時間。漸く買うものが決まり、俺はこの買い物に付き合っているもう1人と一緒に、会計が済むまで店外で待っている。
 思っていた以上に歩き回り、女の子だからか自分より若いからかは分からないが、とにかく疲れた様子はないよなぁと、2人の先程までの表情を思い出しては、年寄り臭く再び溜息を吐いた。
「お待たせ」
 暫くすると、店内から待ち人が出てきた。手には朝から持っている鞄とは別に、店の名前がプリントされた紙袋を持っている。
 その顔はこちらも釣られてしまうほど、満足そうで嬉しそうな表情だった。
「晃兄(こうにい)も麻里ちゃんも、付き合ってくれてありがとう」
 待ち人であった少女――奈緒は、俺・晃司と、彼女の隣を歩く麻里亜に声をかける。
「良かったな、感じの良いヤツ見つかって」
「うん。……喜んでくれたらいいんだけど」
「きっと喜んでくれるって。愛娘の奈緒からのプレゼントなんだもん」
 麻里亜のその言葉に、奈緒はほっとしたように笑みを見せた。
 奈緒の両親は再来週、結婚25年目を迎えるのだという。彼女が今高校2年生で1人っ子なのにも拘らず結婚生活が長いのは、なかなか子どもが授からなかったからだ。とは俺の母親の言葉である。
 そうはいっても、結婚した時の年齢は20歳そこそこだったらしく、実際俺の母親と彼女の母親はほぼ同じ年齢だという話だ。偶然にも父親同士も近いということで、幾つかあるご近所付き合いの中でも特に仲が良いのは、そういったことも関係しているのかもしれない。
 更に子どもたち側も、特に奈緒と麻里亜が1つ違いとなれば、必然と一緒に過ごすことが多くなっていた。
 つまるところ。俺と麻里亜が兄妹で、奈緒は俺たちの幼馴染みにあたる、というわけだ。ちなみに俺たちの苗字は菅原、奈緒は舟引(ふなびき)である。
 そして今日のように、3人で買い物や遊びに出かけることも珍しくはなかったりする。ただ、いつもと違う点を挙げるとするならば、今回の買い物は奈緒の希望によるもの、ということだろう。
 麻里亜がぐいぐいと俺と奈緒を引っ張り連れ回す、というのが10年近く続くスタイルだ。勿論俺や奈緒が言い出して出かけることもある。あるにはあるが圧倒的に少なく、全体の割合で考えればほんの一握りなのではないか、と思うほどなのだ。
 そんな数少ないパターンとなった今回の買い物での奈緒の目的は、『結婚25年目を迎える両親に贈る物を一緒に探してほしい』というものだった。
 これまで結婚記念日に、両親に贈り物をしたことはないのだと言う。ただ、今年は節目にあたるため、2人に何かを贈ろう……。そう思い付いたものの、何をあげれば良いのか検討が付かなかったらしい。そこで俺と麻里亜に救いを求めてきた、というわけだ。
 両親には当日まで贈り物があることは内緒にして、少し驚かせたいとも言っていた。尤も、俺や麻里亜と一緒に出かけること自体は何ら珍しいことではないので、感付かれてはいないと踏んでいる。
 かなり悩んでいたが、最終的に購入したのは、写真立てと色違いのストラップ。
 前者は、これからも元気にいつまでも一緒にいられるように、3人で撮った写真を飾っていたいという意図からのようだ。木目調で、緑葉が所々に散りばめられているシンプルな感じだった。
 後者は俺と麻里亜の意見を尊重してくれた、無難だが同じデザインで色違いのもの。革紐で編んである紐の先にビーズが1つ付いている。
 麻里亜によると、そのビーズはトンボ玉、という名前らしい。見た目はガラス球のような感じで、男の俺から見ても綺麗だと思った。
 ビーズに幾つか種類があるくらいは分かるが、その種類は半端ではなく、つまり名前が途轍もなく多いと聞かされたうえに、その名前をつらつらと何も見ずに言われた時は、俺は一瞬眩暈がした。しかし麻里亜がビーズの名前に詳しいとは、意外な一面を見た気分だ。
 とにもかくにも、これで奈緒の目的は果たせたわけである。
 帰りの電車の発車時刻まで空き時間があるため、駅の構外にある花壇を囲む石の上で時間を潰すことにした(花壇は腰の高さくらいに作られていて、座るには特に不便も苦しくもないのだ)。そうして今日のことについて話し始めた頃。
 くるるるる……。
 それは、誰から発せられた音だったか。ただ、誰もその音に対してからかったり誤魔化したりしなかったのは、音とタイミングが少し違うだけで、3人とも腹中の虫を鳴らしていたからだ。
 周囲を歩く人たちにその音は聞こえていないだろう。それでも自分の耳には、身体の構造とか振動とかが関係しているのかどうかは分からないが、凄く大きな音のように入ってきたのだ。恥ずかしいことこのうえない。
 何となく話を振るタイミングも、笑い飛ばすタイミングも逃してしまい、結果続くのは沈黙。ざわついている明るい周囲とは切り離されたような、少しばかり重い空気が流れる。
「……お腹、空いたね」
 そんな中で最初に欲望を口に出したのは、奈緒だった。それに俺も麻里亜も深く同意する。
 もう直ぐで昼の12時になるような時刻。電車の発車時刻までまだ15分ほどあり、更に自宅の最寄り駅までの乗車時間も20分は優にかかる。更に自宅と駅は、残念ながら目と鼻の先と言えるほど近くでもない。どこかで買い食いをしなければ、この空腹を40分以上耐えることになる。
 それはちょっと、少なくとも俺の状況ではかなり苦しい。出来るだけ店が開く頃にはここに到着しておきたいと、朝食は平素に比べて早い時間だったのだ、お腹が空く時間が早くなっていたとしても、別段不思議でも何でもないだろう。
 そして俺が出した決断は、これだった。
「んじゃ、お昼食べてから帰るか」
 休日は日中なら何時だろうと、大抵乗車人数は多い。その中でくうくう鳴るお腹を抱えて帰るのは、やっぱり辛いと思う。それにこの時間に3人で出かけることも久し振りだし、偶にはファーストフードだろうと、外で食べるのも悪くない。
「賛成〜! ってことで、言い出しっぺのお兄ちゃんの奢りってことでヨロシク☆」
「え、ホント? やった!」
「ちょ、待て、まだ奢るとは言ってないだろ!」
 勝手に話を進める麻里亜に便乗するように、奈緒までもが既に俺が奢ることが決定しているとばかりに喜ぶ。2人分ならまだしも、さすがに3人分となると金銭的にちょっとキツイ。ここは、ハイ了解では駄目だ、強く出て何とか逃れなければ。
 と思っている合間にも、麻里亜に続く刺客が不敵な笑みを見せた。
「晃兄、ちょっと前バイト代入ったって言ってたよね…?」
「う」
 痛いところを衝かれた。そういえば、そんなことを奈緒と話したような気がする。普段は殆どしないのに、何でこうやって買い物に行く直前にバイト代の話なんてしたんだろうと、数日前の俺に問い質したい気分だ。
「あたしと麻里ちゃんは、長期休業中以外のバイト禁止。晃兄はそういう縛りはないよね」
「むぅ」
「そうそう、何もガツガツ食べたいって言ってるんじゃないんだから。太っ腹のトコ見せてよ」
「むぅぅ……」
 反論出来ない。何か言わないといけないと分かっているけど、言えばますます立場が悪くなるような気さえする。実際俺は3人の中で最年長で、成人していて、バイトしている。2人が言うことに間違いはないのだ。
 そして更に、トドメ。
「……ね、いいでしょ…?」
 堕ちた、という表現が合ってるかもしれない。
 座っていても当然ある身長差によって、下から覗き込まれるようにして視線を向けられ、問われる。いや、訊ねているのではなく、「いいよね」と念を押している気さえするのだが。
 そしてこうなると、もうどうしようもなかった。俺には、2人の提案にYesと答えるしか出来ることはないのだ。
「お。何だかんだ言って、やっぱり奈緒には甘いねぇ、お兄ちゃんは」
「……うるさい」
 変な……というか、厭らしい笑みを浮かべた我が妹から頭ごと視線を逸らし、恥ずかしさを隠すように腰を上げる。歩き始める俺の背後で、2人が笑ったような気がした。
 でも確かに俺は、奈緒には甘いのだろう。自覚している時だってある。俺が甘いのか、奈緒が甘え上手なのか、はたまたどちらもなのか、実際のところハッキリとは分からないのだが。
 いつの間にやら背後にいた奈緒と麻里亜は先に歩き、何をどこで食べようかと検討中だ。その嬉しそうな声といったら、俺に見せ付けているというか、更にダメージを食らわそうとしているようにしか聞こえない。
 結局奢ることになったが、実は余分なお金はあまり財布に入れていなかったりする。ちゃんと帰りの電車代は残るといいなぁ…。
 なんて少し落ち込んでいると、前を歩いている奈緒が、くるっと短い髪をふんわり揺らして振り返った。そしてはにかんだ表情で、ひと言。
「……晃兄、ありがと」
 言った直後、恥ずかしそうに慌てて再び前を向いて歩き出す。
 一方俺はぽかんと小さく口を開け、間抜けな顔で一旦停止。何なんだ、アレは。不意打ちにもほどがある。
 ――顔がかぁっと熱くなってきているのが分かる。あんな顔であんな風に言われたら、もう文句も何も出てこない。完全に俺の負けで、言い方は古いかもしれないが、所謂ノックアウトという感じだ。
「駄目だなぁ、俺……」
 奈緒に甘いというより、この場合は弱い、という方が合っている気がする。
 何故だか自分の莫迦さ加減を再確認することになった俺は、2人に置いてけぼりにされないように、漸く足を動かし始めるのだった。


 そしてそれから数日後。俺は4つ離れた実の妹に、泣かされそうになった。
「好きだ、って言ったことあるの?」
「は―――?」
 主語を始めとして必要な単語が幾つか抜けているため、何を言っているのかサッパリ分からず、何とも間抜けな声で聞き返す。
 そもそも、何の前触れもなしにそんなことを言われても、それを正しく理解しろという方が間違っているとは思う。加えて声が聞こえた直前まで小説の活字を追っていたのだから、許してほしい。
 ここは俺の自室。最近推理小説の魅力に取り付かれた麻里亜が、俺の部屋の本棚を物色している光景を見ることは多くなった。今もその理由でここにいるのだが、それが突然さっきの言葉を発したというわけだ。
 で、俺の何とも言えない返答に不満があったのか、麻里亜はぷぅと頬を膨らませた可愛い表情で――なわけがなく、じとっと不愉快さ全開の眼で睨んできた。
 せっかくオブラートに包んで言ってあげたのに……。
 なんて言葉がぽそぽそと聞こえてきて、それはどう解釈しても使い方間違ってるぞ、と突っ込みたくとも実行後が恐ろしい気もするので、心の中だけで留めておくことにする。
 そして、これ見よがしに大袈裟なほどの溜息を吐き、彼女が吐き出した言葉は、
「お兄ちゃんが、奈緒に、ちゃんと、好きだって、言ったことあるのかって、聞いてるの!」
 何故か単語ごとに勢い良く切った、……あまり触れてほしくはない俺の実情に関することだった。
 俺と奈緒は、所謂恋人同士という関係だ。幼馴染みである以上、兄妹のような関係の延長とも言えなくはないが、それに対してお互い不満はないので、特に気にすることもないとは思う。
 だがしかし、実際のところはと言うと。
「―――…言って、ない………」
「………やっぱり」
 情けないながら妹に話すことが恥ずかしく、消え入りそうな声でポソリ、と呟く。そしてそれに対する麻里亜の反応は、予想通りのものだった。
 さっき言った通り、俺と奈緒は、傍から見れば恋人関係である。俺も奈緒も、麻里亜もそういった関係だと思っている。
 ただ、言った≠アとはなかった。好きだと、付き合ってほしいと、そんな言葉を奈緒に伝えたことはなかった。奈緒も、俺にそういった言葉を言ったことはない。
 つまりお互いに言葉で気持ちを伝えないまま、恋人関係になっている、というわけだ。
 変な話だと思う。お互いの気持ちを面と向かって言っていないのに、付き合っていると自他共に思っているのだから。
 一体いつからこんな風になっているのかと言われると、正直なところ明確なことは覚えていない。
 ……そういえばいつだったか、麻里亜が自分の友達に、俺と奈緒を紹介したことがあった。
 俺たちは全くの初対面のその友達に、麻里亜は確かこう言ったのだ。
『あたしのお兄ちゃんと、そのカノジョ』
 オプションとして歳は幾つ離れてるだの、奈緒とは幼馴染みだのとその後色々と付け足されたが、正直俺たちの耳にはそんなことは殆ど入っていなかった。
『……俺らって、付き合ってるの、か…?』
『えと、んと、……たぶん、付き合ってるんじゃない、かな…?』
 そんなやり取りがあってから、少なくとも俺と奈緒は、自分たちの関係が幼馴染み≠ゥら恋人同士≠ヨとランクアップしたと自覚し、認めたのだと思う。
 麻里亜がその当時、俺たちが付き合っていたと本当に思っていたのかどうかは定かではない。本気だったのか冗談だったのかイマイチ把握出来なかったし、今でも恥ずかしくて訊こうとも思えないからだ。
「さっさと言えばいいのに。気持ち知ってるんだから、躊躇うことないでしょ」
 呆れた声と顔で、責めるように麻里亜は言うが、俺も全くそのことについて考えていなかったわけではない。自分の気持ちを言葉で奈緒に伝えようと、そう思って実行に移そうとした時期もあったのだ。ただ、―――。
「――…だからだよ。今更、だろ? 一応お互いどう想ってるか分かってるのに、改めて言うなんて恥ずかしいっつーか……」
 それが、未だに言えずにいる理由だった。
 小さな頃から一緒に過ごし、それこそ麻里亜と同じ兄妹のような感覚で付き合いが続いている。そんな関係は、あまり他人には言い難いことも打ち明けられるのだが、逆に近過ぎて言うのが恥ずかしいこともあった。
 その1つが、今この場で問われている、恋愛感情に関することなのだ。
「中学生じゃあるまいし、何でそんなにウブなのよ。しかもそれじゃあ熟年夫婦みたいじゃない…。まぁ別に、清い仲でもあたしは構わないけどね」
「まッ、麻里亜…!」
 何て恐ろしいことを言うのだ、この妹は…!
 思いもよらぬ発言に、俺は上擦った声で名前を呼ぶ。いや、麻里亜がニヤニヤという言葉が合いそうな顔を向けていることを考えると、もっと酷い、ヒステリックな叫びに近かったのかもしれない。
「とにかく!」
 突然の大声に、俺はビクッと肩を震わせる。次は一体どんな恐ろしい発言が飛んでくるのか、と息を呑んで待った。
「自分の中で決心とかついたらでいいから、ちゃんと言葉で言ってあげなよ。もしかしたら、そういう形として欲しいって思ってるかもしれないんだから」
「―――分かった。……って、何で妹に恋愛のことで指南してもらわなきゃなんないんだよ……」
 先程までと一転して寂しそうな表情をして言うものだから、何だか申し訳ない気持ちになり思わず返事をして、はたと気付く。どうして4つも歳下の妹に、恋愛事情についてアドバイスを頂かなければならないのだろう。
 俺たちが兄妹のような付き合いということは、麻里亜にとっても奈緒は妹みたいな存在なのかもしれない。それにしたって、一応成人しているというのに、この扱いは兄妹の立場を逆転されているようで、少々納得いかない。
 そして、果たして当たってはいたのだが、
「あたしだって奈緒が妹みたいに可愛いの。奈緒が哀しむようなことしたら、承知しないからね」
 鬼の形相と形容したいくらい麻里亜の引き攣った笑みに、背筋が凍り冷や汗をかく。
 彼女の承知しない≠ヘただの冗談ではなく、本気の脅しだ。そうでなければ、踵で兄の足の甲をぐりぐりと踏むなんて、普通の兄妹ならば滅多にないことだろう。というか、本気で痛い。
「……りょーかい」
 早くこの痛みから逃れたいということもあり、要らぬことは言わないでおこうと、俺はただそれだけを口にした。
 ………暴力反対。

 

 

 

 

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