078:鬼ごっこ

 自慢じゃないが、脚には自信があった。
 短距離より長距離の方が好きで、持久力も結構ある方だと思う。
 でも今は激しく息切れしていて、少しでも気を弛めたら脚が縺れてしまいそうだ。その理由は分かってる、たぶん自分のペースで走れてないから。
 これが夏服なら、もう少し動き易かっただろう。残念なことに今は冬に足を突っ込んだ時季、日中の今はマフラーや手袋こそないが、既に冬服のブレザー姿だ。身体が重くて仕方ない。

「―――なぁ、英汰」

 それでも、今日の通学鞄に入っている教科書類は比較的軽いから、まだマシな方だったかもしれない。鞄という余分な物があるだけで、走るリズムは崩れてしまう。

「聞こえてるんだろ、無視するなよ」

 だからって、教科書だけじゃなく、携帯や財布といった物も入れているこの鞄を、易々と手放すわけにもいかない。
 それは、本当に追い詰められた時の手段……。

「英汰ァ、なぁ〜〜」

 ………。
 ……………。
 ……………………………―――。

「英汰ってば―――」
「あ゛〜もう! 喋りながら走れるか! 真剣に走れ! っていうか、お前はアレが恐くないのか!!」

 耐え切れなくなった俺は、隣で同じように走る友人――誠義(せいぎ)に怒鳴りつける。
 息苦しさに加えてイラついているため、余程スゴイ形相だったのだろう。一瞬誠義の顔が少し強張った。……だが、それも束の間。

「わっ英汰、アレ俺たちを追っかけてきてる! こ〜わ〜い〜☆」
「嘘吐けェェ! わざとらしいんだよッ!!」

 酸素不足とは違う何かで頭が痛かった。ズキズキというレベルじゃない。ガンガンとかゴンゴンとか、出来るものなら立ち止まって蹲りたいくらいだ。
 そもそも、普段こんなに怒鳴り叫ぶことすらない。誠義の能天気さはいつも呆れてるが、それをここまで呪ったことは恐らくないはずだ。
 今、俺たちは追いかけられていた。何に追いかけられてるかというと、何なのか良く分からない。
 ……いや、冗談ではなく、本当に分からないのだ。ハッキリしているのは、恐らく人間ではないだろう、ということだけ―――。
 思えば、誠義≠ネんていう名前のくせに、誠実さも正義感もありゃしない、コイツの話に乗ったのが間違いだった。







 学期末テスト最終日。テスト自体は午前で終わったのだが、高校からの帰路が決して短いとは言えない俺たちは、自宅まで持たないと途中で買い食いをした。
 一時的ではあるものの、ひとまず腹が膨れて機嫌は悪くなかった。更に事前の勉強日数を含めると、非常に長かった定期テストから解放されたことで、俺も少し気持ちがハイになっていたのだろう。
 いつもならその理由やら場所やらをこと細かく聞き出すのに、誠義が寄り道をしようと提案してきた時、行き場所がさほど遠くないかどうかを訊いただけだった。
 つまりは、まぁ別に行ってもいいか、という軽い気持ちで誘いに乗ったということだ。
 そうして誠義に連れられた所は、何だかよく分からない、木々に囲まれた古い神社だった。

「お世辞にもキレイって言えない神社だな……」
「へ――? は、は、ひ……、な、何か言っ――は……」
「あ〜…、もういい、とにかく息整えろ」

 まず、在ったのは小さな山で、それを登っていくと、次に待ち受けていたのは、100段近くはあるんじゃないかと思うほど、最上段が遥か先の石段。
 部活動こそやっていないが、これでも毎日走ったり筋トレをしている俺は、多少後半キツイと感じたものの、一気に駆け上がった。
 一方、山を登り始めた頃から比べると少しずつ歩くペースが落ちていた誠義は、石段を上り終えた時には酷い息切れで、ロクに喋れなかったのだ。
 まぁ細っこい身体だから、仕方ないのかもしれない。

「で、ここに来た目的って何なんだ? 目的地はコレなんだろ?」

 誠義が落ち着いた頃を見計らって、そう言いながら俺は小さな神社を指差す。
 かなり古びた、しかし蜘蛛の巣や埃がパッと見は見当たらないことを考えると、全く人が来ていないわけではないようだ。
 だが本当に一体、誠義はこんな所に何の用があるというのだろう。
 すると誠義は、ふふんと偉そうに腰に手を当てて踏ん反り返る。いや、マシになったとはいえ未だ少し息の上がった状態でそんな恰好されても、少しも偉そうには見えないのだが。

「―――ココな、いるんだって」
「いるって、何が」
「んなの決まってるだろ、ユ・ウ・レ・イ!」
「はあ………」

 確かにそう言われると、ここまで古びている神社だ、幽霊だとか、そういった類のモノが出そうではある。しかも位置するのはこんな山奥だし。
 だが正直、俺は生まれてこの方、幽霊やお化けといったモノを見たことも感じたこともない。なので特に信じてもいないし、ココに出るからといってテンションが上がることもなかったりする。
 ……ということは、誠義が寄り道をしたいと言ってきたのは、幽霊を見たいから、になるのだろうか。でもよくよく考えれば、

「でもさ、こんな日中に幽霊なんて出ないんじゃないのか?」

 山奥のために少し薄暗いが、何かが出てくるような気配がするほどの雰囲気でもない。こんな時間に来ても、期待するモノを見れる確率は格段に低いだろう。

「それが、ココは昼間でも出るらしくてさ。ほら、こっち」

 そう言いながら、神社の中に入ろうとする誠義は俺を手招きする。……勝手に中に入ってもいいのか?
 その中は更に薄暗く、外に比べると少し肌寒い。一応礼儀と思って靴を脱いだこともあって、靴下ではさすがに足の裏が冷たかった。
 足の冷たさなど気にならないのか、誠義はズンズンと先へ進んで行く。約10m四方の社の突当りには、これまた小さな木製の扉があった。それを目の前にして歩を止める誠義。俺も隣に並ぶように、その扉を前に立ち止まる。
 木製といっても、それには何やら凝った透かし彫や箔といった装飾が施されていて、色は少しくすんでいるものの、いかにもナニかが祀られている、といった風だ。寧ろ、古びたようであるからこそ、余計にそんな風に感じるのかもしれない。
 とにかく、好奇心などで勝手に開けるなど、バチが当たりそう―――。

「って、オイ!!」

 独りで思考を巡らせている間に隣にいる誠義が、かる〜くその扉を開けていたのである。これにはさすがに焦った。
 ……まぁ、これだけでは終わらなかったのだが。

「入るだけならまだしも、こんなトコ勝手に開けたらヤバイだろ!?」
「だーいじょうぶだって」
「その根拠はドコから来てんだよ!」
「ん〜? どこって言われても……、あ、あった!」
「……?」

 俺とは対照的なのんびりとした声の誠義は、何かを見つけたのか開けた扉の奥へと手を伸ばした。そして戻ってきた手で新たに握られていたものは、―――何やら白いお札のようなモノ。
 ちなみに1pくらいの厚さで、黒っぽい紐か何かで結ばれていた。つまり、何だか大事そうなのである。

「せッ、誠義!? 何やってんだよ、お前!!」

 扉を開けただけに止まらず、そこに置いてあるモノを手に取るなど、非常識というか怖いもの知らずというか莫迦というか阿呆というか、とにかく勘弁してほしい。
 呆れた意味で、一瞬意識が飛びそうになった。

「コレをこの神社から出したら、ナニかが出てくるって噂なんだぜ?」
「なんだぜ、じゃない! 早くソレ戻せッ」
「ここで戻したら、ココに来た意味ないだろ〜……」
「なくていい! そういうことなら、俺帰るから」

 この場に長居したくない俺は、誠義を放ったまま出入り口の方へ向かい、靴を履く。
 さっき言った通り、俺は今まで幽霊の類のモノを見たことはないし、特に信じてもいない。だから誠義の感覚に付いていけなくなり、呆れてこの場を後にしようとした。
 ――…と言いたいのだが、実のところはそうじゃない。本当の理由は、祟りが恐いからだ。
 一緒に暮らしている俺の祖母は、昔から何かにつけ、○○をしたら祟りがくるだとか、バチがあたるだとか言ってくるのだ。
 それが10年以上続いているのだから、祟りに敏感になってもおかしくはないと思う。
 ……幽霊は信じていないが、それとの違いは何かあるのか、なんてことは、自分でもよく分かってないから聞かないでほしい。
 とにもかくにも、誠義が俺の言うことを無視して祀られていそうなお札を持ち出そうとしている以上、祟られるのは厭だから、出来る限り関わりたくない。
 薄情というか、ここまで一緒に付いてきて、最後の最後で逃げるのは恰好悪いだろう。でも俺の中で最優先すべきことは、この事柄に俺は無関係であると主張することなのだ。
 その考えに至った俺は、素早く神社を後にすべく、歩き出した。

「ちょ、待ってくれよ!」

 背後からバタバタと社内を走る音と、呼ぶ声がする。
 走るのはどうかと思うが、そのような音が聞こえるということは、お札を持ち出すことは諦めたのだろう。なら、誠義を放っておいて帰る理由はない。そう考えて俺は足を止め、振り返った。

「―――って、オイ!!」

 何だかさっきも同じような声を出したような気がするが、そんなことどうでも良い。俺の考えは虚しく外れ、誠義はお札を持ったまま社の入り口で靴を履いていたのだ。
 俺の言うことなど耳には全く入っていないのか、と思わざるを得ない。一体どういう神経をしているのだろう……。少し頭が痛かったが、そんなこと言っている場合ではないし、俺は声を張り上げることにした。

「だからっ、それを置いてこ―――い……」

 ただ、その張り上げた声は最後まで続かなかった。
 ふと視線を社の上に向けたのだが、―――なにか、ヘンなモノが、ソコにい、る―――?

「―――な、誠義、…ア、アレ……」

 そう言う声も、社の上を差す指も、恥ずかしながら少し震えていて、それでも誠義に構わず独りでこの場から離れることは出来なかった。
 俺の言動に疑問を持ったか、靴を履き終えた誠義がこちらへ駆けてくる。そして俺が指差す方へ視線を向けると、一瞬身体が固まったかと思うと、再び顔だけこちらに向けた。
 だが身体が固まったわりには、その表情に嬉々としたものが混じっているように見えるのは、気のせいだろうか。

「もしかして……、アレがコレ?」

 誠義は社の上にいる、何やら不思議な物体と自分が持つお札を、空いている左手で交互に指差した。勿論アレ≠ニは社の上のモノで、コレ≠ヘお札のことである。
 恐らく誠義が話していた通り、お札を持ち出そうとしたことで出てきたモノ。
 その不思議な物体を言葉で表すのならば、1番分かり易いのは、白いカーテンを頭からすっぽり被ったお化け、といったところだろうか。
 いかにも典型的なお化けのような風貌だが、その目は酷く鋭く光らせこちらを睨んでいて、何よりとにかく莫迦デカイ。
 小さいとはいえ、四方が10m近くある社の屋根から、少し食み出しているくらいなのだ。屋根に乗っかっていると言っていい。
 その鋭い目から視線を外して、今直ぐにでもこの場から立ち去りたいのだが、――気のせいかもしれないが――睨まれている俺は、金縛りにあったかのように身体が動かないのだ。一体どうすれば……。
 と、誠義が俺の服を引っ張った。
 お蔭で気が少し逸れた俺は、ゆっくりと誠義と視線を合わす。そうして、

「―――逃げるか」

 誠義のその言葉が合図となって、俺たちは全速力で社を離れ、山を下りるために走った。
 まず待ち構えていた石段では、途中何度か段を踏み外しそうになりながらも、とにかく、ひたすら走った。





 で、冒頭に至るわけである。
 あの神社まではほぼ1本道だったから、迷うこともないはずだ。ただ、かなり長い時間走っているような気がするが、なかなか山から抜けてはくれない。いい加減、脚も疲れが出てきていた。
 ちらっと後ろを振り向けば、―――恐ろしい形相で未だ追いかけてくる、カーテンお化け(仮)。
 神社から幾らか離れた頃、さっきのお化けはもう見えなくなっただろうか、と首を後ろに動かしたら、何故かアレは俺たちを追いかけてきていたのだ。まさか追いかけてくるなんて思っていなくて、縺れそうになった脚を必死で踏ん張った。
 それからは、一層前だけを見て走ることだけを考えた。とにかく一刻も早く山から下りることが出来たら、追いかけてくるアレもいなくなるだろう、そう信じて。
 ただ、少なくとも今は未だ追いかけてきていた。

「なっ…何で、まだ追っかけ、てきてんだよ…!」

 さっき誠義に怒鳴りつけたことで更にペースが崩れた俺は、息も途切れ途切れで、愚痴を零すのもひと苦労だ。そんな一方、

「何で、って、俺がコレ持ってるからだろ?」

 誠義の走りは軽快だ。追いかけてきているアレに、恐怖感を持っていないこともあるのだろうか。
 でも神社までの道程ではあんなに息切れしていたというのに、走っている今、何故こんなに軽やかなのか本当に不思議で仕方ない―――――ん?
 誠義の何気ない言葉が、遅れてどこか引っ掛かると感じた。
 今、何て言っただろう。コレを持ってる…?
 首を少し傾げながら、隣で走る誠義の右手を恐る恐る見た。その手にあったのは、……あの白いお札。

「誠義ッ、お前何でまだソレ持ってんだッ! そんなの持ってたら、アレ追っかけてくるの当たり前だろォォ!?」

 誠義の言葉のおかしさに直ぐに気付かないほど、頭に酸素は足りていないみたいだ。しかも今叫んだことで、またもやペースは崩れたが。

「今直ぐソレ捨てろ! とにかく捨てろ! 早く捨てろ!!」
「え〜〜。だってぇ、せっかくここまで持ってきたんだしぃ……。もう少しで外に出るからさ、捨てるなんて勿体ねえじゃんかぁ〜」
「勿体なくない!! つーか祟りなめんなァァッ!!」

 もう殆ど頭で考えてじゃなく、無意識に近い形で喋っていた。
 ただ確実なのは、誠義は俺の言うことなんて全く聞いていないし、聞こうともしない、我儘かつ非常識の塊だってことだ。
 あぁ、誰でもいい、頼むから教えてほしい。
 俺の運命は、一体どうなるんだろう……。






* * * * * * *
珍しくギャグタッチな話。
誠義、という名前は結構気に入ってます。
先に読んでくれたヒトが「(2人を)何とかしてあげてよ」という
有り難い言葉を言ってくれたので(笑)、……その後。
短めですが、興味のある方はどうぞ。