力を受け継いだ小女

 かつて、エリールティレ帝国と呼ばれる大きな国があった。
 特に問題が発生したわけではないのだが、人口が増え、それに伴い技術が発達。そしてまた人口が増える。将来のことを見据え、統制しやすくするために皇帝は国を三つに分けることにした。
 各国王たちは頻繁に会議を開き、均衡を保っていた。しかしその中の一国であることをきっかけに内乱が起こる。共に助け合うという平和条約の元繋がっていた他国も、内乱となれば鎮圧することは難しいものがあった。
 それは何十年、いや百年以上続いたが、一向に終わる気配が見られない。国内の権力を持つ者にも、もうどうすることも出来なかった。
 そしてその国――セントキエティム王国の三十三代目国王であるエクサル=アークトレスもまた、この内乱を止められず、悔しいが自分の代で終わらないだろうと思っていた。

 

 ある日、エクサル国王は戦乱に巻き込まれ、食料を必要としている村へそれを届けに行った。家臣たちは、国王という立場にいる彼が行くことを拒んだが、
「今の状況でじっとしていられない」
 と自分から進んで決めたのだ。
 こういうところが、彼の人望の厚い理由である。立場を一切気にしないというのも良いとは言えない。だが自分のことだけでなく、国全体のことを考え、少しでも早くこの戦乱が終わることを願っていた。
 先代国王――エクサルの父にあたる――が早くに病死し、当時二十三歳という若さで王位に就いたエクサル。通常セントキエティム王国では、国王の任期は六十五歳まで。王位継承者や国王の年齢などにより前後するものの、四十歳ほどで就くことが多かった。このことからも、かなり早かったことが分かる。
 しかし少し長く生きているからと偉そうにしている大臣などより余程信頼され、教養があり国を治める力を持っていると皆彼を認めていた。まさに国王に相応しいと言えるだろう。
 そして今日、幾つか行った中の最後の村で、エクサルは不思議な力を持つ小女に出会った。この出会いこそが後に今の世を一変させ、新しき路を開くものである。


 内乱が起こる以前は、とても豊かで自然の多い、申し分ないほどの王国であったという。今エクサルが来ているこの村――本日足を運ぶのは、ここが最後である――も例外ではなかったが、既に荒れ果てていた。凝視することは辛いものがある。
「ここも…か。一体いつ終わるのだろうか。せめて無関係な者たちを巻き込まなくても良い方法があればよいのだが……」
 周囲を見渡す度に、心をひどく痛めた。それほどこの国を愛し、平和になるようにと努力を惜しまなかったが、もう限界なのかもしれない。
「国王。では我々は食料の配給に……」
「ああ…よろしく頼む」
 そう言うと、家臣たちはそれぞれ配給するためこの場を別れた。
 この間にエクサルは、いつものように村の中を歩く。そこで出会う国民たちと話をし、意見や要望があるならば少しでも反映させたかった。たとえ無理なことだろうと、話を聞くくらいなら出来るのだから。いや、それが今彼に出来る、精一杯のことなのだ。
 それでもエクサルを責める者は、忠実ではない家臣などを除いてだが、誰一人いなかった。特に国民たちにしてみれば、自分たちのことを少しでも考えてくれ、決して支配しているのではなく、あくまで国を纏める立場にいるだけ。皆対等なのだと言う彼に文句などないのである。
 この村でも、かなりの人数の国民たちと話をした。聞くことしか出来なくて申し訳ない、と辛そうなエクサルとは反対に、国民たちはとても良い顔をしている。このような小さな村に来てくれただけで感謝の気持ちでいっぱいだというのに、一人一人嫌な顔など一切せず、真剣に話を聞いてくれたのだ。自分たちのことを気にしてくれている彼が、辛そうにしている方が申し訳ないと感じていた。
 エクサルが一息吐いた時、ふと一人の小女が眼に入った。
十歳に満たないほどに見えるが、まるで白雪のように透き通った肌に、綺麗な蒲公英色の髪。まだ幼いためだろう、頬はふっくらしている。そして決して綺麗とは言えない服装だが、何故かそのように感じさせない。
 更に先程その小女の身体から一瞬光が溢れ出したかのように見えた。気のせいだろうか……。
「……君の名は?」
 惹かれるように小女の前に行き、声をかけた。そう、まるで声をかけなければならなかったような。そして小女は最初戸惑っていたが、ゆっくりと口を開く。
「……リリィ…。リリィ=フェイル…」
 鈴の音のように紡がれる名前。この後リリィという小女の言葉に、驚かされることとなった。
「国王様に会える、この日を待っていました…」
「…い、今何と……」
 面識など当たり前だがない。先程の言葉が頭の中で繰り返される。
 ――私を…待っていた…?
 エクサルは、この自分より二十歳と離れているであろうリリィを、ただただ見詰めることしか出来なかった。

 

 

 三人で暮らすには少し狭く、内乱の影響からか、古びた家。しかしその暮らしに不満など何もなかった。
 今日もいつものように、同じほどの年頃の子供たちと外で遊び終え、嬉しそうな表情で帰ってきたリリィに、彼女の両親は話があるからと彼女を床に座らせた。いつになく空気が冷たいと無意識のうちに感じ取ったリリィは、悪ふざけをすることなく、真剣な眼差しで彼らを見る。
「リリィ…お前は、この国の柱となるだろう。その力で皆が幸せになるよう祈るのだ。それが…お前の運命(さだめ)…」
「さ…だめ?」
 父の言葉を繰り返すと、母はそっとリリィを抱き締める。
「小さな貴女にこんなことを言うのは酷かもしれない…。ごめんね、リリィ…貴女の運命(さだめ)を伝えること以外、私たちには何もしてあげられない……」
 止まることのない涙。それは自分の娘の人生は決められていると考えるほど溢れ出し、更に彼女を抱き締める腕に力が入る。そして、眼に映る肩の震えている母を見て、何だかやるせない気持ちになったリリィも背中に手を廻した。
 まだ腕は短くて、服を掴む程度だったけれど。
「……泣かないで、お母さま…。わたし知りたい。さだめ≠フこと、知りたい。今はまだすべて理解出来ないと思うけれど、受け入れるから……」
 この子は強い。
 真っ直ぐに見つめる瞳に、彼女の両親はそう思った。本当は最愛の娘に辛い思いなどしてほしくない。それでも彼女自身が望んで受け入れてくれるのならば……。
 彼らは柔らかな笑みを零し、リリィに少しずつ運命(さだめ)のことを話し始めた。

 

 

「私はプリエルビスという力を持っています。この力は生まれた時からあったと教えられました」
「それは…どのような力なのだ?」
 エクサルはリリィに問いかける。
 出向いた先で出会った彼女を、オートコルダー城に連れて来た。彼女の意味深な言葉に惹かれたのか、親が居らず孤独であるということに同情したのか。それとも、声をかけた時のように、連れて来なければならないと感じたのか……。
 何故かは彼自身分からなかったが、特に追究してまで理由を考えようとは思わなかった。
「私が祈ることによって、負の感情を弱めることが出来ます。……人を殺めたいと…、戦いたいという気持ちも…」
「で、では……この戦乱を止めることが…!?」
 少し声が大きかったか、と思ったが、この際気にしなかった。いや、それよりも彼女の言葉の方が気になって仕方なかったのである。
 その言葉は本当なのであろうか…。本当にこんな小さな小女に…? という思いが、頭の中をぐるぐると駆け巡る。
「私独りの力では無理ですが、少しずつでも皆に私の声が……祈りが届いたならば、止められないことはありません」
 リリィの曇りのない茜色の瞳は、エクサルの失われつつあった希望を蘇らせた。
 だが、どうしたものか。暫くお互いに黙った時間が続くと、突然リリィはお借りしてもよろしいですか、とテーブルの上に置いてあったペンナイフを掴む。何に使うのか全く見当が付かなかったが、ひとまず曖昧な返事をした。
 エクサルの声を聞き、胸の辺りまで上げた左の掌に、スッと線を引くように動かす右手。彼女の真白い肌は、鮮やかな血で染まっていく。
「一体何を…!」
 思わず立ち上がり、向かい合わせに座っていたリリィの方へ腕を伸ばす。だが、彼女は微笑んだままペンナイフを置いたかと思うと、血が流れる傷口に覆い被せるように右手を乗せ、ゆっくり離した。すると、
「これ…は……」
 自分の眼を疑う。先程傷ついたはずの傷が、何もなかったかのように消えているのだ。眼に映るのは、既に流れていた紅い鮮血のみ。
「これも……君の力、なのか…?」
 返事の代わりに、彼女は再度微笑んだ。

 

 

 リリィ、と声を漏らした父の方へ、顔を向ける。その表情は優しい声とは違い、何処か寂しそうでもあった。
「お前の力は、他の誰のものでもない。お前だけのものだ。そして国の柱となり、祈ることが運命(さだめ)と言ったが、それはあくまでお前がそうすることを受け入れた時…。逃げたいと思ったのならば、逃げても構わないよ。私たちは、それを止めたりなどしない……」
 運命(さだめ)であるはずなのに何故選択出来るのかは分からない。しかし力を使い祈ることは、決して軽い気持ちで勤まるものではないということは確かである。途中で逃げ出すことは許されない。
 この選択は、リリィの一生を決める大きな分かれ目でもあった。今は未だ幼くとも、いつか必ず自分の力を分かる時が来る。このまま彼女が死ぬまで続くであろう内乱を見て見ぬ振りをするか。それとも柱となり、死ぬまで人々が幸せに暮らせるよう願うか。リリィに任された路は二つ……。

 

 

 

 

 

序曲 / 第二話    


2004.9.7



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