この祈りは貴方のために

 リリィがオートコルダー城に来た翌日。
 先日の夜言っていたように、エクサルは彼女に戦乱の話を始めた。そしてリリィ自身、真剣な表情でその話を聞き取った。
 セントキエティム王国は「グラセ」と呼ばれる鉱石の原産地である。それは魔法を使う者にすれば魔力の増幅を助け、剣術を使う者にすればそれから剣を作るため、貴重な資源なのだ。
 つまりは他国もグラセを欲しているということ。
 ある時、海を渡って来た他国の脱獄者たちがそれを奪おうと国民を襲ったのだ。更に彼らは身元が分からないようにとセントキエティム王国の服装をしており、結果同じ国民が襲ってきたと勘違いしてしまった。
 丁度その頃、東部の方は異常気象による災害で、生活が僅かだが不安定な状態にあった。
 襲われたのは西部の方であったために、東部の奴等が、と言われてもおかしくない状況を作ってしまっていたのである。
「……結局そのことに嘘の事実が加わり、小さな誤解は戦乱へと形を変えた。そして今に至るのだ」
 出来るだけ難しい言葉を使わないよう、簡易にと気を遣いながら話をしたが、一気に言ってしまったので理解してもらえたかよく分からなかった。そのためいつの間にか俯いていたリリィの顔を、エクサルは彼女の名を呼びながら覗く。
 そこには、怒りと哀しみを含んだ茜色の瞳……。
 大人びているとはいえ、まだまだ全ての感情を隠し通すことは出来ぬ年齢だ。些細なことで、小女であると再認識する。そして、昨日の彼女は相当張り詰めていたということも。
「…教えていただき、ありがとうございます。私の出来る限りのことを致します。ですから国王様もお力を、お祈りを……」
「勿論だ。私に出来ることがあるならば、何でも致そう」
 エクサルの返事を聞き、安心したようにそっと微笑む。しかし、一寸の後に彼女の耳に入るのは、意を決したような声。
「……リリィ」
 先程の声とは違った雰囲気に、リリィは少し身構える。今から言う彼の言葉は全く予想していないことなので、緊張するのも無理はない。まして彼自身、相談されるまで考えていないことだったのだから。
「――…私たちの養子になってくれぬか…?」
 結果その言葉に、ただただ眼を見開くことしか今の彼女には出来なかった。それを承知で、恐らく聞いてくれるだろうとエクサルは話を続ける。
「ソフィアが…、私の妻が、君を養子として引き取りたいと……。無理にとは言わない。ただ、独りで生きていこうと思っているのならば、一緒に……」
 どうしてこの方たちはこんなにも優しいのだろう……。
 リリィは涙が零れそうになるのを、グッと下唇を噛んで堪える。
 昨日、ソフィアが同情ではなく心から想ってくれていると感じ、本当に嬉しく思った。しかし彼女だけではなく、一国の王までも。
 国を救うからとはいえ、これほどまでに尽くしてくれるものなのだろうか。
 ソファに座っていたリリィは、見上げ、泳いでいた視線をゆっくり下ろした。エクサルが彼女の目線に合わせるよう、腰を屈んだため当然のことではあるが。
「跡継ぎのことは考えなくていい。プリエルビスという力を持つ小女でなく、リリィ=フェイルとして君を引き取りたい……」
 自分は道具同然のように使われ、不必要となれば捨てられるのだと。それが自分の選んだ路だと思っていた。だから、自然と瞳からは涙が零れた。恥ずかしく思ったが、一度溢れ出したそれを止める術はない。最後の抵抗として、出来る限り声を抑えようとする。
 その反応に戸惑い、どうしたらいいものかと悩んだエクサルは、何か辛くなるようなことを言ってしまったか…? と哀しそうな表情を表したが、リリィは大きく幾度も首を横に振った。
「……違います…、違うんです……うれ、しくて…」
 涙のせいで、上手く言葉を綴ることが出来ない。この想いを伝えたいのに、言葉で伝えきれない。しかしたどたどしく紡がれた鈴の音は、確かにエクサルに届いていた。
「リリィ、ならば……」
 聞き間違えではないのならば、肯定と取って良いのか?
 一瞬そう口に出すことを躊躇う。小さな言動が幼い少女に重荷となる場合もあるのだ。そしてそれは、要らぬ心配となる。
「……はい…、あり、がとうございます……」
 エクサルが初めて眼にしたリリィの笑顔だった。
 決して貼り付けたようなものではなく、無邪気な本当の笑顔。涙で濡れた瞳と形の良い口唇は優しい弧を描き、一層彼女の澄清さを引き出していた。

 

 

 地に膝を付け、スッと真っ直ぐに伸びた背中からは、とても九歳の小女とは思えない。数時間前、あれほど幼く感じたはずなのに、今の彼女はまるで女神のように輝き、そして手の届かぬ存在のようであった。
 ゆっくりと掌を合わせ指を絡ませる。その手を胸の前まで引き寄せると瞼を下ろし、『プリエルビス』と声にならない言葉を紡いだ。
 ベランダに座り、祈り始めてからどれほどの時間が経っただろうか。いや、実際はさほど経ってはいない。しかしリリィの姿を見ていると、エクサルとソフィアは何も言えず、ただ緊張した空気に包まれるがままであった。
 その沈黙を破ったのは、リリィ自身。突然立ち上がり、さすがに二人も驚愕の表情を作った。しかし、
「リリィッ!」
 小柄な身体は弧を描くように宙を舞う。それに逸早く気付いたエクサルは手を伸ばし、彼女を優しく包み込んだ。
「ソフィア、扉を開けてくれ。私の部屋に運ぶ!」
 焦りゆえに少し早口で頼んだのだが、動く気配はなく、ただ遙か遠くを見つめていた。一体どうしたのだと急かすように再度名を呼ぶも、返事はない。すると顔を一度エクサルの方に向け、先程まで彼女が逸らすことの出来なかった景色を見るよう視線を送った。
「……貴方、あれを…」
「え…――」

 

 それから一刻ほど経ち、エクサルの寝室のベッドで眠りについていたのだが、リリィはゆっくりと重い瞼を持ち上げた。
「リリィ……」
 エクサルが声をかけるとはっきり意識を取り戻し、小さな身体の上半身を起こす。まだ茜色の瞳はぼんやりとしていて、顔色も良いとは言えなかったが。
「…大丈夫です。私より、戦乱の方は……」
 そのあまり力のない言葉を遮るように、ソフィアはリリィを抱き締めた。戸惑いの声を漏らすも、ソフィアの次の言葉に一瞬何も考えられなくなっていた。
「皆…、皆貴女の祈りを聞いてくれました。届いたのです、貴女の祈りが…!」
 涙は止め処もなく流れる。そして間もなく緊張の糸が切れたのか、リリィの瞳にも透明な雫が一筋流れた。
「言葉がないよ、リリィ…。本当に何と言っていいか……」
 内乱は鎮まった。リリィの、全国民の祈りによって、終わりを告げたのである。

 

 ソフィアの視線の向こうに在ったのは、オートコルダー城の周りに集まる国民たちの姿だった。何が起こっているのか把握出来ず、エクサルもまたそこから逸らせずにいた。
「一体、これは……」
 リリィを抱えたまま立ち尽くしていると、遠くから彼の名を呼ぶ声。二人は腰ほどまでの欄干から身を乗り出すと、どうやら国民たちの中の誰かが発しているようだと分かった。そして彼は、ある村の長だということも。
「国王様、このような所からで申し訳ありませんが、私たちの話を聞いていただけますか?」
 元々この地位を特別視していないエクサルは、
「こちらこそ、高い所からで申し訳ない。ぜひ話してほしいのだが…」
 と今の状態で話してもらうことを催促した。それに安堵の息を零し、村の長は伝えるべきことを、少し声を張り上げて話し始める。
「先程、声が聞こえたのです」
 頭の中で、誰かが話しかけてきた。決して耳に障るような声ではなく、とても澄んだ、しかし何処か哀しそうな声。
『このような戦いは、誰も望んでいません。何故人を殺めるのですか? それで何が得られると言うのですか?』
 その瞬間、まるで最後のピースが填められたかのように、ふっと内乱が起こった原因となったことが頭を過ぎった。自分の眼で直接見ているはずがないのに、鮮明にその時のことが分かる。何故だと自問すると同時に、今まで多く流した血の無意味さを突き付けられた。
『祈りを捧げて下さい。誰のためでもない、貴方自身のために……』
 そして理由は分からなかったが、祈ることで不安や焦燥感などが取り払われると必然的に感じていた。これが、自分たちに出来る償いでもあると。
 声が消えてしまうと、誰が言うのでもなく皆オートコルダー城へ向かった。因みにここに来ることが出来ない者たちは、見えぬこの城を思い浮かべながら祈り続けていた。国王が、国内にその声を電波を通して響き渡す時まで。
「これが……この子の力、なのか…?」
 エクサル、ソフィア共にお互いと彼の腕の中にいるリリィの顔を見合わせた。現実である。それを示すものが、この城に集まる国民たち。しかし二人は信じられないと何度も溜息を漏らした。
 こんなにも小さな身体で。本来ならば彼女は子供という護られる立場であるというのに。
 自分の半分も生きていないリリィに、エクサルはただ「ありがとう」という言葉しか言うことが出来なかった。

 

 

*         *

 

 

 部屋に浮かぶのは、月の光によって出来た二つの影。殆ど変わらなかったが、時々動く影の方が少し長い。
「本当に…、行くのか?」
 背の低い方の青年が、沈黙を破るように口を開いた。そして、ほぼ同時にマントを翻す音が部屋に響き渡る。動いていた――背の高い青年は先程声を発した方に顔を向けるわけでもなく、ベッドに置かれていた剣(つるぎ)を手にした。
「……俺に拒否権はない。生きるためには従うまでだ」
 澄んだ声は何処か強い意思が感じられる。それは彼が言う通り『行く』ということは、自身の命を繋ぐための行動だからであろう。
「頑張れなんて言えないけどさ、無理だけはするなよ」
 ふっと少し柔らかな笑みを零し、ああ、と短く言って、背の高い青年は部屋を後にした。
 この行動が自国……いや、元エリールティレ帝国であった三国で生きる者たちの運命を定めてしまうことなど、全く知ることもなく。

 

 

 

 

 

第二話 / 第四話    


2004.9.11



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