望まぬ邂逅 |
リリィがメダデュオ帝国に囚われてから数日後。 時刻を知らせるのは陽が差し込む、小さな一つの窓からのみという牢獄での生活から、彼女は皇族たちと同じ造りの部屋に移動することになった。 その理由は聞かされていないが、リリィを連れて行く牢獄で監視をしていた者に問いかけると、皇帝の命だと言った。 そして新しく彼女の住む部屋となる所へ行く途中。城内は絹を裂くかのような悲鳴で包まれていた。 更に微かに鼻に付く、まだ真新しいであろう血の匂い……。 監視者の手を振り払い、リリィはその匂いの元へ駆ける。取り囲んでいる人を掻き分け、そこにいた者を見た時は一瞬戸惑った。 右腹部を恐らく剣などの刃物で刺されたのであろう。鮮血は流れ続け、薄花色の服は既に紅く染まってしまっている。意識もないが、身体は痙攣までも起こしていた。 しかし医師は来ないのか、周りにいる者たちが倒れている者の名を呼び、ただ突っ立っているだけだった。そんな彼らに苛立ちを覚えたリリィは、臆することなく罵声を浴びせた。 「この方を死なせたくないのでしょう!? 祈るのです、助けたいと。早くっ!」 リリィの力は、第三者の祈りが増減の鍵となる。軽い怪我を治すだけならリリィの力だけで十分だが、特に瀕死状態の者をほぼ完全に治そうと思うならば、その者を想う気持ちがなければならない。 城内に住む者たちは、セントキエティム王国からリリィを略奪したことを知っている。 つまり、今自分たちに檄を飛ばしている少女が、プリエルビスを使うリリィ=アークトレスだということも分かっていたのだ。 この状況で、自分たちに出来ることなどない。そう感じた彼らは、リリィの言葉を疑うことなく祈った。助かってほしい、死なないでほしいと。 余程彼らの祈りは強かったのだろう。 暫くすると倒れていた者の心肺機能は正常に戻り、怪我も完全に塞がり、大量の血が流れることはなかった。もう大丈夫です、というリリィの言葉に周りにいた者は皆 安堵の笑みを零す。 だが、数日の牢獄生活のため衰弱していた身体には力を使うことは大きな負担となり、リリィは意識を飛ばしその場に倒れた。 その遠くで、彼女は傍にいた女性が自分の名を呼ぶ声を聞いた。
僅かに痙攣した瞼をそっと持ち上げると、そこには見慣れぬ天井があった。 リリィは二、三度瞬きをし、今自分は敵国に囚われている身であることを思い出す。一気に現実に引き戻されたと顔を少しばかり歪めたのだが、少しずつ鮮明に聞こえてくる微かな足音と共に、 「お目覚めですか、リリィ第一王女」 優しく微笑む翡翠の瞳と、それを少し隠す胡桃色をした柔らかな髪が眼に入った。綺麗な顔立ちをした青年である。 「あ、貴方は……」 思わず訊ねてしまったが、囚われている敵国の者の問いに答えなどくれるはずがないと、眼を逸らした。だが彼は笑みを浮かべた瞳を携えたまま床に膝を付き、敬礼を表した。 「私はヴィラ=ウォレンサー、この国の第二皇子です。ここは私の部屋ですから、警戒しなくとも大丈夫ですよ」 何よりもまず、何故皇子である彼の部屋に自分はいるのだろうという疑問が浮かんだ。 プリエルビスを使い負傷した者を助けたことまでは覚えている。その後は確か意識を飛ばしたはずだ。 元々新しく生活空間となる部屋への移動中だったのだから、そこへ直接連れて行くのが普通であろう。それなのに、一体どうして……。 ぐるぐると答えの出ない疑問と共に焦点の合わない視線が宙を彷徨っていたが、ふとこちらを見ていたヴィラ、と言った皇子と眼が合った。いつまでもこの状態でいるわけにはいかないと、意を決した時、リリィより先に彼の方が動く。 「貴女が助けた者…、私の義兄(あに)の意識が戻りました。会っていただけますか?」 彼のその言葉で、助けた人物の周りを多くの者が囲み、そして皆が迷いなく祈りを捧げた理由を理解した。 それほど慕われ、信頼されている皇子。 先程は助けることに必死で、薄花色の服を纏っていた以外は容姿など欠片ほどしか記憶に残っていない。 わざわざ敵国の者に会う必要はないと思ったが、皇子である彼の願いを断ることは出来ないだろうと潔く受け入れた。 容態をきちんと確認せぬまま自分が気を失ってしまったため、傷口が上手く塞がっているかどうかを確認したいという思いが後押しした、と言っても嘘ではなかった。 ヴィラの部屋から数歩というほんの短い距離を挟み、目的地である部屋は在った。彼は扉を軽く叩いた後、ギィ…と重いそれを押し開ける。 そこには先程まで寝ていたと分かるほど、無造作にシーツが敷かれたベッドの上に服を置き、正装用ではない軽いマントを肩に掛けようとしている青年がいた。 それを見たヴィラは、早足で彼の傍に寄る。 「ユリス駄目じゃないか、まだ寝ていないと! 完治したわけじゃないんだぞ!?」 「もう平気だ。そこの誰かさんのお蔭で、な」 鶯色の髪に、吸い込まれそうなほど澄んだ紺碧色の瞳。そして低いが決して耳に障らぬ声。 ヴィラの話では彼の義兄のようだが、どこを比べても似ているとは言い難い。 暫く彼を凝視していると、ヴィラが部屋の中に入るよう促した。義兄のユリスです、という紹介と共に。 するとどうだろう。彼は端麗な容姿や第一皇子という立場に似合わぬ荒い言葉を吐いたのだ。 「テメエか、わざわざ自分が囚われている国の奴を治したっていう、物好きな敵国の姫様は。礼を言うぜ、あんたのその行動で俺は死なずに済んだからな」 思わず呆気に取られたが、誤解されたくはないと口を開く。 「お礼なら私ではなく、貴方に仕えている方々に言って下さい。瀕死状態であった貴方を治したのは、あの方たちの心からの祈りです。私独りの力ではありません」 「何故助けた。あんたのここでの立場、分かってんだろう?」 しかしそんな彼女の言葉をサラッと流し棘々しく言い放つ。リリィは自然と顔を背けた。分かっている、自分の立場なら十分に理解しているが、もう耐えられないのだ。 「……もう、眼の前で人が死ぬところを見たくありません。それがたとえ敵国の者であったとしても」 それは綺麗事でも何でもなく、リリィの本心からの想いだった。 だがユリスという青年は、そんな彼女をまるで偽善者だという眼で見詰めた。そして軽く唇の端を持ち上げると、カツッとリリィに歩み寄り顎を引き寄せる。 「これでも、そんなことを言っていられるのか?」 自然と見上げる形になり、綺麗だと感じたはずの紺碧色の瞳は、闇を閉じ込めたような暗いものに見えた。 と、一瞬彼が数日前に今と同じような動作をした人物と重なる。顔を覆ったものから覗く、暗い瞳。 「あ…貴方が……」 時間が過ぎる度に、鮮明に思い出された。義父が殺された時、こうして自分の眼の前に立っていた人物の声。あの声と同じだ。 しかし何故この部屋に入った時、直ぐに気付かなかったのだろう。そう思うも、彼女の頭には自分の義父を殺した人が眼の前にいる、ということしかなかった。 言葉遣いが違っているとはいえ、張り詰めていた声に比べ、遙かにここでは柔らかい声だと分からないほど動揺していたのである。 「私をからかったのですか…!?」 もう、抑えられなかった。 衰弱しているためか弱々しかった瞳は、明らかに怒りが含んだものとなっている。やはりまだ子供か…と、ユリスは少し呆れた表情を作ったのだが。 「なっ…!?」 リリィの身体は溢れんばかりの光を纏っていた。思わず声を上げ、身体を一歩後退させる。 魔法を使用するためには、まず自身の『気』を研ぎ澄ませる必要があった。 『気』とは誰彼なしに身体の奥底に眠る、ある意味鉱石のグラセに似た力のようなもの。それをコントロールして放出することが魔法を使用出来る条件であり、上手くコントロールは出来ないが引き出せている者は、剣術や体術に長けている。 どちらも出来ぬ者や『気』の存在自体を知らぬ者は、勿論不必要なものでしかないが。 そして『気』を研ぎ澄ませていると、自然に相手の『気』がぼんやりとではあるが見えてくる。それにより相手の力量を予測したりするのだが、彼女の場合、勝手が違った。はっきりと見えるのだ。しかもその光の大きさは半端ではない。 「ユリス! 何も今言わなくても…!」 エクサルが死んでから、まだ数日しか経っていない。恐らく精神も不安定な状態であろうというのに、更に追い詰めるような言葉を言う必要はなかった。 リリィにユリスを会わせたのは、彼はそのことを十分分かっているはずだと思ってのことだっただけに、ヴィラは動揺している彼女の方へ歩み寄る。しかし思わぬ言葉が飛んできた。 「ヴィラ近付くな!」 「え…? ッ!」 リリィに触れようとした瞬間、バチッという音と共に指先に電流が走る。 魔法の使えぬヴィラには、彼女から放出されている『気』は見えないのだ。一体何が起こったのかと義兄の方へ顔を向ければ、彼もまた強張った表情である。 「バカ! やめろっ」 そんなユリスの声は届かず、光は大きさと輝きを増すばかり。 チッと舌打ちすると、呪文の言葉を呟く。ユリスの手には眼に見えるほどの静電気のようなものが現れ、その手で彼女の腕を掴んだ。 「くっ…」 「ユリス!?」 バチバチと激しく火花が散る。ユリスはそのまま先程まで自分がいたベッドに彼女を押し倒した。かなり強引だったため、リリィの口からは小さな声が漏れる。 「何してやがる! この城の奴らを全員殺す気か!?」 怒鳴った瞬間、纏っていた光は一瞬にして消える。それを確認すると、ユリスはゆっくりと掴んでいた腕を離した。そして盛大に息を吐くと同時に睨み付ける。 「計り知れない力を持っていることは分かったが、ここまで感情をコントロール出来ないガキだったとはな。お前があの戦乱を止めたとは思えない」 「ユリスッ!」 「そいつの肩を持つ必要なんてねえよ、ヴィラ」 ユリスは引き止めようとするヴィラに構わず部屋から出て行った。 残されてしまった自分はどうすればいいのだ、と彼を少し恨んだのだが、気付けばヴィラの耳に嗚咽の声が入ってくる。 言わずもがなリリィが声を押し殺し、泣いているのだ。 「……本当にすみません…、私が義兄に会ってほしいと言ったがために…」 ユリスの想いを理解しているからこそ、彼を否定的に言うことは出来なかった。 何より、彼女に辛い思いをさせてしまったのは、自分の我儘な行動。宥める言葉すら今の彼には出てこなかった。 暫くして少し落ち着いたと見て取れたため、ヴィラは手で顔を覆い、仰向けに寝ていたリリィをベッドに座らせた。そして言葉を選んで話し始める。 「酷なことを聞くけれど……、ユリス、…義兄が君の父上を刺した時、力で助けることが出来たはずでしょう? それなのに、何故……」 それはある程度大まかなことを、ユリス本人から聞いていたからこその疑問。 彼女の略奪は、その力を国が欲したからである。それほどまでの力を持っていながら、助けることの出来なかった理由が分からないのは不思議ではない。 「……プリエルビスは、多くの方たちを助けることが出来ます。しかし…幸か不幸か、その力は私の心を反映するのです。心から助けたいと願うならば、それだけ力は増幅する……」 「だったら尚更…、ユリスに食ってかかるほど父上を愛していたのなら…!」 「駄目なのですっ!」 今までとは考えられぬ張り上げた声に、ヴィラは一瞬言葉を失った。 「……私…、近しい方の死を眼の前にすると、動揺してしまって…。助けたい…死なせたくないと思っているのに、精神(こころ)が拒むのです……」 囚われた後も、ユリスが魔法を使ったために必然的に無力となってしまったことは、教えていない。それはヴィラとて同じであり、現時点でその真実を知っているのは、ユリスのみ。 つまり、未だに彼女は自分のせいでエクサルを死なせてしまったと思っている。 また泣きそうになり、リリィはそれを堪えるために下唇を噛んだのだが、 「――…泣いて…構わないんだよ?」 「え…」 そっと彼女の頬に触れた大きな手は、とても温かかった。 「監視の者たちが、まるで誰もいないと思うほどだと言っていました。食事も殆ど取らなかったのでしょう? ここには誰もいません。もう、感情を仕舞い込む必要はないのですから」 その優しい言葉に、リリィの張り詰めていたものが解き放たれた。それと同時に、瞳からは大粒の涙が流れ始める。 濡れた茜色の瞳は、彼女をとても幼く見せていた。
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2004.9.18 「larme」top |