転入してから2日、3日と経ち。早くも翌週の月曜日となっていた。 まだまだクラス全員の名前を覚えきれていないが、少なくとも皆から始業式の日のように敬遠されることはなくなっている。 それもこれも、梨沙・仁志・依美子が話しかけてくれたからだ。 こんなに早く、こちらの高校に慣れ始めることが出来るなんて、思っていなかった。 本当に彼らには感謝、である。 「あ、真柴くん」 今は午後の授業が始まる10分ほど前。つまり昼休みなのだが特に何もすることがなかったため、悠紀は椅子に座りぼんやりとしていた。 左からかけられた声の主は、梨沙だ。噂をすれば何とやら、か…? 身体を悠紀の方に向け椅子に座る。 「今日の放課後、何か用事ある?修学旅行の話したいんだけど…」 そういえば、始業式の日に担任の先生が、また修学旅行のことも言わないとなぁ…。と言っていたような気がする。 もちろん前の学校でも修学旅行はあり、はっきりと覚えていないが、10月中旬頃に沖縄へ行く予定だった。 既に班も自由行動時の計画も決まっていたところで、転校の話。楽しみにしていただけに、心残りである。 「別に、…何もないと思う。先生に呼ばれん限りは」 先週も、決めることがあるだの聞きたいことがあるだの、放課後に限らず昼休みも呼び出されることがあった。 つい先程も呼ばれ、ほぼ昼休みは潰れてしまったために残り10分、何もせずに椅子に座っていたというわけだ。 それを知っている梨沙は、嫌味ったらしく言葉を漏らす悠紀に苦笑いをする。 「じゃあ教室で待っててくれる?」 ふと、悠紀は疑問が浮かんだ。 担任が話をするなら分かるが、何故梨沙なのだろう。少し思案した後、出てきたのは、 「自分、旅行委員とか、そんなん?」 学校や行き先は違えど、同じ修学旅行なら、前の学校にもあったように旅行委員とやらがあるのでは。そう思ったのだ。 そしてどうやらその予想は当たっていたようである。 「うん。本当は先生が直接話す方がいいんだろうけど、忙しくてそこまで手が回らないんだって」 「分かった、ここおったらええんやろ?」 梨沙の言う先生が、担任なのか修学旅行担当の先生なのかは分からないが――もしかすれば、担任が担当だという可能性もあるだろう――かなり忙しいようだ。 教室で待っていればいいのかという質問に対し、梨沙は頷いて、 「ありがと」 相変わらず綺麗な笑みを見せた。 特に強制しているわけではないのだが、部活動をしている生徒は多い。 現に仁志は野球部、依美子も筝曲部に所属している。 悠紀が元バスケ部だったことを聞いた仁志は、入れよと言ってくれたのだが、今のところ見学にも行っていない。 クラスメイトとは少しずつ仲良くなれているが、他クラスは全くだ。まして途中からとなると、入りにくいという気持ちもある。 「ごめんね、遅くなっちゃって」 ちなみに彼女は入っていないらしい。運動神経も良さそうなのに、勿体ないなぁというのが本音だ。 入っていない理由は、未だ聞いていないが。 「いや、お蔭で宿題半分終わったし」 梨沙を待つ間、今日の授業で出された英語の宿題をしていた悠紀は、教科書やノートに加えて使っていた英和辞書を閉じた。 やはり数学とは違い、英語の宿題はそれほど時間がかかることなく進むようである。 悠紀が教科書類を鞄に入れ終えると、梨沙は彼の前――仁志の席に身体を横向けて座った。そして手に持っていた何枚ものプリントを、悠紀の机上に置く。 「まずは概要というか…、どこに行くかは知ってる?」 「あぁ、京都と奈良やろ?地元か思たけど、小学校の修学旅行で行っただけやし、まぁええかなって」 「一応これが日程。あ、これ全部真柴くんの分だから、持って帰っていいよ」 無線綴じの冊子の、8、9ページ目を開く。そこには4泊5日の行程が細かく載っていた。 1泊2日だった小学生時とは違い、すこしゆったりとしているようだ。 悠紀がひと通り目を通したことを確認すると、梨沙は口を開く。 「基本的にクラスで移動するんだけど、1日班別行動があって…。どの班に入るかっていうのが、1番の問題っていうか、決めなくちゃいけないことなの。ちなみにクラスごちゃ混ぜで、3〜5人班」 やはりどこの学校でも、行程の殆どはクラスで移動し、1日だけ班別自由行動があるものなのか。 学校側に決められたことばかりではなく、自分たちで考えたプランを実行出来るのは嬉しいが、そのプランにせよ最も重要な班構成にしろ、なかなか簡単に決められないことが多々ある。 悠紀自身、前の高校も含め経験済みだ。 「班、なぁ…。正直、まだクラスの奴らすらちゃんと覚えてへんのやけど」 「だよね…、どうする?」 他愛無い話をするクラスメイトも、何人かいる。が、あくまで話をしている中に混ぜてもらっている状態だ。 1日共に自由行動するならば、梨沙や仁志と同じ班の方が良いと思うのも仕方ないだろう。 ちなみにあたしの班は……。 梨沙は広げている冊子を数枚捲り、班分けのページが見つかると、8班と書かれた所を指差した。 そこには、梶村梨沙と松川依美子。そして、 「…なんか、男女混じってへん?」 望月亮という、明らかに男子の名前。 その前後の班を見ても、ひと班に男子と女子の名前が並んでいるのが目につく。 普通、自由行動時の班は男女別ではないか?…いや、でも中学の時は男女混合だった気もする。 「中等部から一緒って子多いし、人数が少ないからだと思うけど、出来るだけ男女混合の班作れ、って。強制じゃなかったけど、半分くらいは男女混合の班が出来たみたい。結構、仲良いから」 梨沙の言う通り、泉水学園の生徒数は少ない。 1学年3クラスで、約90人。中等部・高等部共に推薦入試のみで、高等部に関しては、中等部からの内部進学が殆ど。 また、都内とはいえ田舎に位置するため、入試時の倍率はさほど高くない。多くの者が同学年の生徒の名前は覚えているだろう。 男女混合の班が半分近くも出来上がったのは、彼らにすれば珍しくも何ともなかった。 そういえば…、と悠紀が思うのは、休み時間。 もちろん男子だけ、女子だけで話をしている者もいるが、男女一緒に話をし、笑っている姿が当然のようにあった。 関西にいたときも自分の学年は男女の仲は良かった方なので、恐らくそれほど違和感がなかったのだ。 「男子も隣のクラスだけど1人いるし、依美子だったら一応話出来るよね」 依美子とは、梨沙のように気兼ねなく話が出来るわけではない。 それは彼女が異性と話すことが少々苦手だということもあるのだろうが、だからといって話しかけにくいとか、話をする時に気を使うといったことはなかった。 とにかく、 「…まぁ、男女同じ班が多いんやったら、話出来る人がおった方がええよな……」 というところに行きつく。 自由に観光出来る時間があるのだ、どうせなら楽しみたい。 「修学旅行の時に、誰と仲が良いだなんて、まだ分からないもんね。…尾崎くんは、確か5人班だし」 そう言われて1班から辿っていくと、確かに、仁志は彼を含めて5人である。 ひと班3人から5人と梨沙が言っていたのだから、転校生という特権を使ってお邪魔させてもらうわけにはいかないだろう。 となれば、選択肢は決まったようなものだ。 「じゃあ、あたしたちと同じ班でもいい?」 先に言ってくれたのは、悠紀の気持ちを分かっているのか、無意識なのか。 さすがに自分から梨沙たちの班に入らせてくれ、とは言い難い。 「ん、…というかお願いする」 決まりだね、とプリントを揃え始める梨沙。 尤もそのプリント類は彼女のものではなく悠紀のものなので、慌てて奪い取るようにして鞄の中にいれる。 その様子に、梨沙はというと小さく肩を震わせて笑っているのだった。 「ところで、真柴くんって家どこ?」 どちらも帰る準備が整い、教室から出ようとする時。梨沙は思い出したようにそう訊いてきた。 しかし、悠紀はようやく道順を覚えたくらいだ。目印になる建物など、うまく伝えることは出来ない。 生徒は様々な所から通っているわけだし、知っている可能性は低かったが、機械的に覚えた住所を言ってみる。 「え、じゃあ帰る方向一緒かも…。駅前のバスに乗って、」 ところが偶然にも梨沙は知っており、……というよりどうやら途中まで帰る方向、利用する交通機関は同じようだ。 彼女が自分の帰途を説明していても、悠紀の口から出てくるのは肯定の言葉ばかりである。 結局、バスから降りて暫く歩いた所まで同じ帰途だということが判明。必然的に一緒に帰ることとなった。 そしてその帰り道。 最寄り駅前のバス停まで徒歩なのだが、修学旅行の話をしている時に突然話が変わる。 「ね、そういえば真柴くんは向こうで彼女いたの?」 「…いや、別に言うほどのもんでもないと思うけど……」 あまりに唐突過ぎて、あまり触れてほしくないとか、そんなつもりはないのだが、自然と話を避けるような言い方になってしまった。 「そう?だって気になるじゃない。もしいたら、遠距離になるわけだし」 そう言う彼女の顔は、何かを期待している表情。 まるで、付き合っていた彼女のこと、教えて?といわんばかりの。 「残念やけど付き合っとる奴はおらんかったで。ついでに言うと、好きな奴も」 もちろん、嘘ではない。 中学の時に好きな人がいたが、高校が離れてそれきりであったし、今まで付き合った人もいない。 告白されたことがなかったわけではないのだが、好きだ、と1度も思ったことのないような人と付き合う気など全くなかった。 それならばよほど友達でいた方が楽である。 付き合うならば、相手に気を使うことなく、自然体でいられるような関係が悠紀の理想だった。まぁ、そんな人は中学の同級生の他に出会ったことはないのだが。 「そうなんだ…。ちょっと意外。真柴くん恰好良いのに」 ふと梨沙が漏らした言葉に、悠紀は思わず「は?」と聞き返してしまった。 一体彼女は何を言っているのだろう。 「それは俺の台詞やろ。聞いたで。中等部から誰かと付き合うとるっていう噂が全くない、男女共に好かれる梶村梨沙サン?」 一応俺も言ったんだから、と目で訴えかけてみる。 悠紀は話したと言うほどではないのだが、細かいことはこの際気にしない。訊くということだけに焦点を置けば、不公平ではないだろう。 それに感付いたのか、梨沙は小さく溜息を吐き、降参と言わんばかりに両手を軽く空に向けた。 「好きな人がいないこともないんだけど…。会ったのはずっとずっと昔だし、好きっていうか憧れって言った方がしっくりくる感じ、…かな」 「…年上?」 それは彼女のイメージだった。 何となく彼女が憧れる人というのは、年上のような気がする。 もちろん同い年や年下でもしっかりとしていたり、良い意味で年不相応の人はいる。が、梨沙がそのようなタイプなのだ、となれば直ぐに年上だと浮かんでもおかしくはないだろう。 「ふふっ、友達のお兄ちゃん。よく家に遊びに行ってたから、可愛がってもらってたの。…まだ、小学生の時の話」 澄んだ空を見上げる顔は、微かに赤みが増しているように見える。 実際、彼女に出会ってからまだ1週間ほどしか経ってはいないが、狼狽するところなどあるのだろうかと思ってしまうような梨沙が、感情を――表情を崩すのは珍しいと思った。 もしかすれば、仁志や依美子も同じように感じるかもしれない。 ちなみに梨沙のことが好きかと問われても、うまく返答出来ないだろう。しかし憧れているのは本当だ。 皆に信頼されているが、それを鼻にかけることはない。同い年としてすごいなと、冗談抜きで思った。 そして純粋にそんな彼女が昔から好意を抱いている友達の兄は恰好良いのだろう、と思った。もちろん容姿などの外観ではなく、彼℃ゥ身がだ。 もし機会があるのならば、その好意を寄せている人をひと目見たいものである。 ……小学生時の友達ということは、泉水学園に友達が在学していない可能性も高そうだが……。 とにもかくにも、こういう言い方は失礼だろうが、梨沙も恋の話になると普通の女の子なんだなと。悠紀はそう思った。 まぁそう思うほど、彼女は眩しい存在なのだということだ。
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2004.12.11 back |